NEKOPLUS+
ユーリは海を見て一人もの思いに沈んでいることが多くなった。話しかけるとハッとしたようにこちらを見て表情を崩す。
物言わぬ口の代わりに様々な感情を語る紫紺の両眼。たまに、ユーリの目に映っているものは自分とは違うのではないかと思う。海も空も、目の前にいるフレンの姿も。フレンの認識とは異なって見えているのではないか。ユーリの存在をフレンしか認識出来ない時点でその程度のこと、不思議ではないけれど。 ユーリと歩いているときに知人に会っても彼らはユーリの存在に気が付かない。しかしユーリと外で話していても誰もフレンのことを不審な目では見ないので、ただ姿が見えないだけではないらしい。
「ユーリ」
呼んで手招きすると彼はゆっくりとした動作でフレンの傍にやってきた。手を握り、頬に触れ、顔を覗き込む。彼はくすぐったそうに僅かに身を捩り目を細めた。
確かにこうして、君はここにいるのに。
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荷物はこれだけかい?と尋ねられ青年はああ、と大きく肯いた。ダンボールを運び入れ窓を開け放つ。広くも新しくもないが一人と一匹には十分だ。家々の向こうには海も見える。足元に寄ってきたラピードと視線を合わせしばし戯れた。
多くもない私物を取り出しているといつの間に紛れ込んでいたのか一通の手紙を見つけた。裏にはあの人の名前。少し考えてから机の上に置き、風で飛ばないように金色の腕輪で重しをした。後で読んで返事を書こう。
ラピードと共に石畳の道を歩く。今まで暮らしていた街よりも大分のんびりした雰囲気だが嫌いじゃない。大きく息を吸い込むと何の花だろう、微かに甘い香りがした。鼻歌でも歌いたい気分で風に吹かれていると不意に視線を感じそちらを向いた。金髪に海のように青い瞳。黒縁眼鏡と白いシャツ。見知らぬ青年はひどく驚いたような顔でこちらを見ていた。
「ユーリ・・・?」
いかにも自分はユーリだが、何故知っているのか。首を傾げるとラピードがくんと鼻を鳴らし、困惑したように小さく鳴いた。
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フレン・シーフォはユーリの幼馴染で親友で、家族とも恋人とも違う特別な存在だった。幼いころからずっと、フレンはユーリの光だった。本人にそんな風に言ったことはないけれど。
ユーリが生まれて初めて海を見たのは旅に出てからのことで、つい最近だ。
『ユーリ、この間の巡礼で海を見たんだ。本当に綺麗で、君にも見せたかったな』
丘の上から青い海を見て、小隊長になる少し前興奮気味に話していたのを思い出した。
フレンはいつだってユーリと感情を共有したがった。ユーリが自分と同じ景色を見ることができないのを残念がり、二言目には本当に騎士団には戻らないのかと聞く。子供のころのようになんでも半分こできるとフレンはまだ信じていた。そんなはずはないのに。
ユーリは頬杖をつき窓の外を眺めた。
向こうではユーリは死んだことになっているのだろうか。ユーリが死んだら、フレンはどうするのだろう。泣くのだろうか。それとも死体が見つかるまで信じようとしないだろうか。
どちらにしても、きっとフレンは自分などいなくても大丈夫だ。むしろ、いない方がきっと・・・
ぼんやりとしていると、玄関のドアが開いた。出迎えに行き荷物を持ってやる。フレンはユーリの顔を見てぽつりと呟いた。
「ねえ、ユーリ。君に会ったよ」
*
なんとなく、予想はついていた。全く違う人生を送っているフレンがいるのだから同じようにユーリが存在しても何ら不思議なことはない。
自分はこの世界の異物だ。
何のしがらみもない世界でフレンと二人穏やかに暮らす、など自分には無理な話なのだ。そんな資格はとうに失っている。
*
ユーリは特に動じた様子もなく、その表情からは何を考えているのか読み取れなかった。 他人の空似ではない。あれはユーリだった。目が合うとユーリを海岸で見つけた時と同じように心臓が高鳴って、惹きつけられて仕方なくて、声をかけられた瞬間思わず逃げ出してしまった。
ユーリは未だ混乱したままのフレンに手を伸ばそうとして、ひっこめた。フレンは一歩踏み出しユーリに近づいてその手を掴んだ。紫色の瞳が僅かに見開かれる。そのまま手を引いて彼をベッドに押し倒した。
首筋を舐めあげると白い肌が赤らみ荒い息が漏れた。大きな瞳から涙が零れ、長い髪は白いシーツの上で広がり波打つ。乳首を捻ると中が締まるのが分かった。
両脚を肩に掛け、腰を押し付ける。呼吸も、鼓動も、体温も、確かにここに存在している。
唇の動きが何度もフレンを呼んでいた。
*
まったくお前は、いざとなったら体当たりな所まで変わらないな。昔、くだらない口論の途中で突然押し倒されたことを思い出して笑みが漏れる。立場上悩みの尽きない日々を送っているが本当は悩むよりも兎に角行動を起こすことの方が得意なのだとユーリは知っている。特にユーリに対しては、ぐだぐだと口で煙に巻こうとするのを物理的に黙らそうとする傾向がある。『いいから黙って僕に抱かれろよ』だなんて台詞があいつの口から飛び出すことを一体どれだけの人間が想像できようか。
胸元に押しつけられる金髪を抱き締める。
きっと、この世界のユーリもフレンに惹かれる。自分のことだからわかる。愛しくて仕方なくなって、しかし自分のように離れる必要はない。自分のように罪を背負いはしないから。
*
星の明るい夜。波の打ち寄せる音だけが聞こえる。寄り添い座るユーリの手に自分の手をそっと重ね、暫くそのまま耳を澄ませていた。今日は月が無い。
どのくらい経ったのだろう。おもむろにユーリは立ち上がり一人海に向かって歩き出した。声をかけると彼は足首まで水に浸かったところで振り向く。僕は立ち上がりユーリに歩み寄った。
手を伸ばし彼の肩に触れる。すると触れた部分から細かな光の泡が零れた。驚いて手を引くとユーリの体は僅かに透き通って、少しずつ泡になり宙に霧散していく。それを止めようにも自分にはどうすることもできない。
待って、行かないでくれ。
抱きしめた体は冷たい。ユーリはこちらに身をすり寄せ目を閉じる。そのまま動かず、静かに消えるのを待っている。
やがて腕の中には誰もいなくなり、一人でそこに立ち尽くしていた。
*
目を開くとまだ窓の外は暗かった。ユーリが変わらずここにいることに安堵し大きく息を吐く。夢で良かった。フレンが起きた気配に気がついたのかユーリは小さく身じろぎしフレンの頬を撫でる。フレンはユーリの体を引き寄せて目を閉じた。
次に目覚めた時、ユーリの姿はどこにもなかった。
*
「あんたって、意外と面倒見いいんだな」
星の光が海から登る朝日に霞んでいく。雲一つ無い空を横切る巨大な影は、星蝕み。世界を覆う災厄。銀髪の男は岩場にもたれかかるユーリを見下ろすとゆっくりとまばたきした。
「放っておいた方が良かったか」
「いや・・・」
あそこは自分のいるべき場所ではない。死んでいないのなら、まだやるべきことがある。ユーリは目を閉じ回想した。
「でも・・・いい夢見たよ」
この先もう手に入ることはないだろうもの。もう決して望んだりはしないけれど、幸せではあった。
「フレン・・・」
あちらでは喋れなくて良かった。
愛してるだなんて言葉にすることは一生無い。そう決めたから。
「早く戻らないとな」
「・・・何故泣く」
「泣いてねえよ・・・見んな」
*
朝の浜辺。
ラピードと共に朝の散歩をしていると見慣れた金髪を見つけた。ラピードが嬉しそうに尻尾を振りそいつに寄っていく。
「おはようラピード。ユーリも」
「ああ」
ラピードは誰にでも素っ気ない奴だがこいつ、フレンだけは別らしい。頭を撫でられると満足げに尻尾を揺らし鼻を鳴らしてすり寄る。
「また海見てたのか?」
「散歩のついでにね」
フレンは寝癖のついたままの頭に触れながら言う。この間寝癖ついてるぞと指摘したら一応なおしたんだと言われた。
眼鏡をかけていないと青い瞳の色が良く分かる。空とも海とも違う澄んだ青色。顔を近づけのぞき込むと近いよと叱られた。