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滝川陽平が死んだ。

 

「…なんでおめえ泣いてないんだよ。悲しくねえのかよ。クソッ、ダチが一人死んだんだぞ!

もっと悲しい顔しろよ! 泣けよ! バカ!」

 

走り去る田代香織見ながら、今自分はどんな顔をしているのだろうと速水は思った。頬に、目元に触れてみる。悲しい顔を、してはいないのだろう。目は乾いてる。

 

 

「俺、滝川 陽平。よろしく。たきがわ、よーへい。分かった?それより、食い物買いにいこうぜ。金がない?よしわかった、俺がおごってやる」

滝川陽平は、いい奴だった。初対面の速水に人懐こく話しかけてきた少年は、何かと速水の世話を焼きたがった。いわく、「おまえ、ぽやっとしてるから心配でさ」。

速水は普通の少年として、こいつを手本にしようと思った。人畜無害な普通の少年を装うには速水は知識不足だった。幸い勘の鋭いタイプでもなさそうだ。学園生活を送る上での隠れ蓑として速水は滝川に近づいた。

 

 

「戦争に死者はつきものですよ。…だからといって、それを理由に自分を許す気にはなりませんがね。」

 

善行忠孝はそう言って眼鏡を直した。レンズの奥の瞳は窓から差し込む光に反射して見えない。小隊長室はいつにも増して薄暗い。速水は口を開いた。女のような声だった。

「二番機は、どうなるんですか?」

「しばらく欠番にします。神経接続の上手くいくパイロットを探すのも骨が折れますし、今からあなた達についていけるよう訓練するのはこの状況では無理です」

「そうですか・・・」

「壬生屋さんには友軍の援護を主にやってもらいます。あなたと芝村さんは、今までどおり・・・今までどおり、敵を殺戮してください」

善行は目の前の華奢な少年・・・我が隊のエースパイロットを見た。いつにも増して感情の読めない顔をしている。初めて会ったころのおどおどした小動物のような態度は鳴りを潜め、最近は暇さえあれば訓練か整備をしている。

・・・彼が実際は何者であるのか、善行にとっては大した問題ではなかった。速水は健気で優秀なパイロット。それだけだ。

 滝川陽平は決して無能なパイロットではなかった。むしろ平均点が20や30点台のテストで60点台といったところの、“優秀な凡人”パイロットだった。コンスタントに80点を取ってしまうような壬生屋未央や、最早満点の概念を壊して機体スペックを超える働きをしてしまう速水・芝村コンビと比べるから見劣りしてしまうだけで。

彼を失ったことは小隊にとってかなり痛手だ。だが、今はその死が彼と親友だった速水をはじめ他のパイロットに影響を与えることの方が小隊長としては危惧すべきことだった。

死は連鎖する。

「二番機の整備員を一番機と三番機に振り分けます。これで機体の状態はかなり改善されるでしょう。ですから・・・速水くん」

「はい」

「少し休んでください」

青い瞳が僅かに揺れた。


 


 

 売店でサンドイッチと牛乳を買った。

袋をぶら下げて廊下を歩く。女子高の生徒達の視線を感じたが、害のあるものではないので放っておく。ひと気のない場所に行きたくて、校舎裏に向かう。日陰は空気が冷たく感じる。去年のこの時期よりも寒く感じないかなんて若宮に聞かれたが、“去年”を知らない速水はあいまいに笑って誤魔化した。

 冷えたベンチに腰掛ける。サンドイッチの包装を開けて、ちびりと口に運んだ。そんなんで足りるのかとよく滝川は速水の食事を見て首を捻っていたが、速水は少食だ。あの時おごってもらったのはこれだったかなと速水は記憶を辿る。サンドイッチと、牛乳。風が売店の袋を鳴らした。

 

 気配と足音に速水は顔を上げる。長身の男が立っていた。

「ここにいたのか」

瀬戸口隆之。速水は表情を取り繕いかけてやめた。この男に対しては今更だ。

瀬戸口は速水のとなりに「どっこいせ」と妙に年寄りめいたことを言いながら腰掛ける。

「珍しいな」

「なにが?」

「今日は手作りじゃないんだな」

「ああ・・・」

速水は少し考えて、袋に入ったままのパック牛乳を瀬戸口に「はい」と手渡した。瀬戸口の形の良い眉が怪訝そうに寄る。

「僕、牛乳のプラスチックが体質に合わないみたいで、飲めないからあげる」

「・・・なんで飲めないのに買ったんだ?」

「なんでだろ」

 瀬戸口は肩を竦めて牛乳を受け取った。

少年の顔を見る。黙っていてもいつも微笑みを浮かべているように見える速水だが、今は表情を消している。ガラス玉のような青い瞳。顔立ちと相まってどこか人形めいて見えた。

「ねえ、瀬戸口」

 高く、平坦な声が言う。

「どんな顔、すればいいんだろう。僕、これまでの嘘がいけなかったのかな。友達が死んだ時の悲しみ方とか、わからなくて」

青い青い底知れない瞳。

 

ゆらり、と。幻視される10枚に留まらない力翼。

一瞬、小柄な少年に強烈な何かの気配を感じて瀬戸口の身体に宿る者は震えた。それが善なるものなのか、悪なのかはわからない。

強大で、獰猛な、

可能性。

 

「瀬戸口・・・?」

はっとして見ると、気配は消えていた。速水はあどけない顔で首をかしげている。瀬戸口は背筋に残る冷たい感覚を誤魔化して笑みを作った。速水の頭を撫でて立ち上がる。

「そんなもんに正解なんてないさ。教えられても意味がない。自分で受け止めるしかないんだ・・・それで、生きてる奴は前に進まないとな」

瀬戸口の語る言葉はただの、東原ののみからの受け売りだった。過去は思い出でしかない。実際、一人の女性の死に千年もの間とらわれているのは、瀬戸口自身なのだが。

速水は目を伏せる。青い睫毛が妖精のように影を落とした。去ろうとする瀬戸口の背に問いかける。

「・・・瀬戸口。今夜、空いてる?」

「ああ」

本当は約束で埋まっていたが、この少年に問われれば、この男の予定は全て空いていることになる。そういう風にできていた。

まるで今思い出したかのように、瀬戸口は振り向いて言った。本当は口にしたくない名前。

「そういえば芝村のお姫様は?」

「自分が酷い顔してるってわかる時、好きな子に会いたくないでしょ?」

弱々しく笑ってみせる速水に瀬戸口は大きく息を吐いた。

妬けるな。

 


 

「俺達も頑張って、彼女とかつくろうぜ。なっ!

 だって、戦死したとき、一人くらい泣いて欲しいもんなぁ・・・」

 

 滝川陽平は速水の親友だった。それは、自他共に認めるところだった。

教えたがりの滝川は、世間知らずでぽややんとした速水をつれ回しては新市街での遊び方を伝授したりアニメを見せたり映画に連れて行ったりしていた。こんなことも知らないのは流石におかしい、という部分も速水には沢山あったが、滝川は細かいことは気にしない性格だった。それに救われることは多かった。

エースパイロットになりたいと、滝川は言っていた。エースになって、ヒーローになって、アニメのように皆に認められたいと。その感覚は速水にはわからなかったが、笑って「なれるといいね」と言った。生き延びられるなら正直なんでも良かった。

徹夜でアニメやゲームにつき合わされたり、屋台なるものに連れていかれたり。速水の感覚では理解し難いものも多かったが、付き合うのは嫌ではなかった。むしろ、楽しかった。滝川といるのは楽しかった。普通の生き方をしていればこんな日々をすごしていたんだろうかと速水は思った。

 滝川には無理に明るく振舞おうとしている部分もあった。普通と名のつく感情には疎い速水だが、人間の負の部分や誤魔化しには鋭い。滝川は戦争を恐れていた。死と隣りあわせであることに怯えていた。明るく、陽気に振舞うことでそれを誤魔化そうとしているようだった。速水はそれに合わせた。怯える滝川の人間らしさを愛おしく感じていた。

 “普通”は、そうなのだろう。舞や自分がおかしいのだ。


 

人畜無害な気弱な少年。それだけではいられなくなったのは、九州の戦況が悪化し激戦区に狩りだされるようになってからだ。

芝村舞と共に士魂号三番機を駆る速水が、銀剣突撃徽章を授与されたのは転戦してすぐのこと。絢爛舞踏になれと、ヒーローになれと舞は言った。舞とこの小隊の皆を守るためにはぽややんとした少年のままではいられなかった。

生きたいのならば、負けなければいい。3番機は当初、速水と舞を部品としてコントロールしようとしていたが、いつしか全ての判断をこちらに委ねるようになっていた。その方が効率的に殺戮できると、3番機の生体脳は判断したのだ。鈍重で近接戦には向かないと言われた複座型は超硬度大太刀を両手に悪鬼のごとく戦った。向かってくる敵も、敗走する敵も容赦なく殺した。

そしえ速水は気がつくと小隊の、九州総軍のエースパイロットと呼ばれるようになっていた。戦うことに、敵を殺すことに高揚感を覚えないと言えば嘘になる。殺される前に殺す。そうやって、今までも生き残ってきた。それの、何が悪いのか。

 

「なんだかさ、お前・・・幻獣を殺すたびに、人間じゃなくなっていくみたいでさ…恐ぇよ」

 

アルガナ勲章を胸につけた速水に、滝川はそう言った。戦ってる最中に、嬉しそうに笑っているように見えたと滝川は言った。それが、恐いと。

「…なにか、おまえ…いや、“あんた”が、敵を殺すたびに、俺なんか話にならないくらい強いことに気付かされる。俺は、幻獣より恐い人の肩を、それと知らず叩いていたのかもって…。その調子で殺し続けて、勲章貰いつづけて、人類最高の絢爛舞踏章を取って…それで…それで…あんた、一体何になるんだよ」

何、に?

速水は自分の胸に問いかけた。

「・・・僕は、守りたいものを守れるなら、化物になってもかまわないよ」

異能であることには意味がある。なければ作ればいい。芝村舞はそう言った。

そうだ。本当は元から、化物なのだ。それで皆を守れるなら、幸せなことだ。すると滝川は泣きそうな顔をして言った。

「あんたと俺達は・・・住む世界が違うんだ・・・」

速水は何も言えなかった。

滝川の言っていることは間違っていない。ただずっと、嘘で固めた自分で接して来たツケが回ってきただけだ。

 寂しいと思った。あらゆる責め苦に遭ったラボでは感じなかった色んな感情を、この1、2ヶ月の間で沢山覚えた。寂しい、悲しい。友達が離れていくのは、恐がられるのは寂しいことだと知った。

 

 

滝川陽平が死んだ。

撤退中の友軍を庇って直撃を受けたらしい。激戦だった。一番機は中破。三番機も敵の生体ミサイルで損傷を受けていた。

 

幻獣がすべて非実体化た後、司令の善行から通信が入った。

『遺体と行方不明者を捜索する。助からなさそうな戦友は、…これ以上、苦しませるな。…。

 以上、捜索を開始せよ』

 

 幸い怪我はないが消耗しきっている舞を整備班にまかせ、速水は崩れ落ちている二番機に向かって走った。後ろから引き止める声が聞こえたが従わなかった。

脱出はしたらしいが、滝川本人からの連絡はなかった。刺し違えたらしいミノタウロスが幻に還っていく。残るのは戦車の残骸と、人の死体。速水は声を張り上げて滝川を呼んだ。

声は返ってこない。

 

捜索を始めて数十分。二番機から、少し離れた残骸の影で速水は滝川をみつけた。

ウォードレスの人工筋肉から、白い血が流れている。白い池のようだった。仰向けに横たわる滝川は割れたゴーグルを握り締めて、口と鼻から血を流している。光のない目。速水を見つけた滝川はそれでも安心したように、小さく笑った。抱きかかえると滝川は咳き込むように血を吐いて、言った。

「なあ・・・速水。俺、さ・・・おまえ・・・あんたのこと、・・・好きだったんだ。知ってた?」

「滝川」

「・・・あんたみたいになりたいよ・・・あんた、みたいに・・・」

「滝川・・・滝川っ!」

「好き・・・だ・・・」

滝川は憧憬を含んだ目で速水の青い瞳を見つめ、耳障りな息をするとそのまま動かなくなった。

 

 

 速水厚志は、滝川陽平の親友だった。

 

 速水は身長がコンプレックスの滝川よりも更に小柄で、女みたいに線の細い顔立ちをしていた。声も高く、ぽやっと頭から花でも飛んでそうな雰囲気で笑うのが、昔同級生の女子が読んでいた少女漫画にでも出てきそうだと滝川は思った。

 速水は変に世間知らずで、自分をごく平凡な普通の少年だと思っている割に何だか得たいの知れない部分が多々あった。

だが、ひどくお人良しで、いい奴だった。それは違いない。

「速水、帰りにパピコ買って帰ろうぜパピコ」

「? 食べ物?」

「アイスだよ。・・・まあいいや、とりあえずコンビ二だ!」

アニメは知らないしボーリングも映画も知らない。ゲーセンにも行ったことがない。今までこいつはどんな箱入りで育てられてきたんだというくらい速水は無知だった。

しかもよりによってあの芝村に深入りするし、変人で有名な岩田にも好かれているしこの先の人生こいつは大丈夫なのかと心配になる。押しが弱いのにつけこまれているんじゃないかと。

「・・・だ、か、ら。芝村と付き合うなって言っているだろ?あいつ、マジでやばいって」

警告すると速水は眉を下げて困ったように笑う。

「言い方が不器用なだけで、舞は悪い子じゃないよ」

「不器用とかそういう問題じゃなくてな・・・・あの芝村だぞ」

「芝村ねえ・・・」

速水はいまいちピンとこないようだった。芝村を知らないなんて、いよいよどんな世界から来たんだと問い詰めたくなる。だがそれは、本能的にしてはいけないことのような気がして滝川は速水のこれまでの生活について尋ねたりはしなかった。このゴーグル下の傷と同じように、誰だって聞かれたくないことはある。

 時には速水の殺風景な部屋にゲーム機とお菓子を持ちこんで一晩中遊んだりもした。速水の部屋は本当に何も無い。あるのは最低限の生活必需品と、猫の住むスペースだけだ。速水はこんなご時勢なのに猫を養っていた。夕食代の一部を猫の餌にあてているらしい。猫達は初日こそ滝川のにおいを嗅ぎにきたりしたが、二度目からは無関心で畳の隅や押入れで眠っていた。

「あはは、勝手にご飯を食べて勝手に寝て、外に散歩にいくから飼ってるっていうよりも同居かな」

「おまえって本当に・・・」

滝川は呆れた。お人好しだ。戦争の最前線にいるとは思えない。・・・だが、こんな時代だからこんな優しい奴がひとりくらいいてもいい。こいつには俺がついててやらないといけないと、滝川は思った。

 寝転がってゲームをしながら、いつのまにか隣の速水は寝落ちていた。すうすうと寝息が聞こえる。・・・こうして見ると、可愛い顔をしてるなと思う。瀬戸口にはよくからかわれているけれど、確かに睫毛もこんなに長くて・・・。優しいし気遣いはできるし穏やかで笑うとかわいいし。小隊の女子はかわいいけれど変わり者や曲者ばかりで、速水みたいな女子がいればいいのにと思う。それだったら、出会った初日からアタックして、春の始まりだったのにな・・・・

「なに馬鹿なこと考えてんだ俺はっ。やめやめ」

段々照れくさくなって滝川は首を横に振った。


 

 速水が変わってしまったのは、激戦区に転戦してからのことだ。

 芝村舞とより親しくしているのを見かけるようになったのも、このころだった。

 速水は滝川とは違う。速水は、士魂号の操縦に関していわゆる天才だった。戦闘中の速水とは普段とはまったく違う。別人のように、殺すための機械のように冷徹に正確に敵を仕留める。それは激戦区に向かう前からそうだったけれど、銀剣突撃徽章を受賞して、黄金剣突撃徽章して、またたくまに速水は九州総軍のエースになった。同時に、冷徹な機械のようだった速水は戦闘中、笑うようになった。楽しそうに、無邪気さを感じさせる声が無線に入る。・・・滝川は背筋が寒くなった。

芝村舞の影響なのか。それとも別の何かなのか。教室で話していても、速水の中に滝川の知る速水厚志ではない誰かがいるようなそんな妙な気分になることが多くなった。優しげでぽややんとした、前と変わらぬ笑顔。だが次の瞬間には、笑顔のまま自分さえ殺せるのではないか・・・幻獣にそうするように。そんな恐怖を抱くたび滝川は自己嫌悪に襲われた。

そんな奴じゃないことなんてわかってるはずなのに。


 

4月1日。

芝村準竜師から直々に、速水はとある任務に指名された。

降下作戦。

幻獣と交渉するという、キチガイのような作戦だった。準竜師の用意した機体、単機で幻獣の群れの中心の降りるらしい。おかしい、やめた方がいいと言ったのに速水はそれを受けた。あいつは笑顔で・・・出かけていった。

作戦成功の知らせが入ったのは、その日の夕方のことだった。撃破数を聞いて滝川は耳を疑った。歓声を上げるクラスメイトが多かったが、滝川は笑えなかった。

 “そんなことができるのは本当に人なのか?”

そんな疑問が頭をもたげる。実際に士魂号に乗っているパイロットとそれ以外では感覚が違うんだろうとクラスメイトを見ながら滝川は思った。実際にアレに乗って戦ってない奴にはわからないだろう。速水が、どれだけ異常なのか。速水は間違いなく、エースパイロットでヒーローだ。だけど、だけど・・・。

速水なら、絢爛舞踏になれるんじゃないかと誰かが言った。300以上の幻獣を屠ると得られる、まだ世界で4人しか受賞していないという人類最強の称号。300。想像もつかない。でも、速水ならやってしまうかもと思った。

滝川はまたひとりで身震いした。

 

「滝川」

高く穏やかな声が呼ぶ。滝川は振り向いた。勲章をつけた速水が立っていた。

穏やかに微笑む青い瞳。何十もの幻獣を殺して、帰って来た翌日なのにまるでいつもと変わらない様子で速水は笑っていた。なんともいえない感情がこみあげてくる。

 気がつくと滝川は速水に詰め寄っていた。今まで思っていたことを、言ってしまった。殺す度に、人間じゃなくなっていくようだと。

言いながら泣きたくなった。こいつはもう一緒に馬鹿をやっていた速水じゃない。別の何かになろうとしている。“おまえ”呼びに違和感が起こって、滝川は速水を“あんた”と呼んだ。畏怖の念をこめた呼び方だった。

 速水はずっと、困ったように眉を下げ、静かに滝川の話を聞いていた。

「・・・僕は、守りたいものを守れるなら、化物になってもかまわないよ」

速水はそう言った。いい加減気がついてしまった。

「あんたと俺達は・・・住む世界が違うんだ」

すると速水は悲しい顔をした。いつでも微笑んでいるように見える顔が泣きそうに曇る。青い瞳が揺れていた。本能的に悟った。それは取り繕った表情ではなかった。本気で傷ついた、優しく繊細な、親友の顔だった。

それを見て滝川は強い後悔の念に襲われた。

言わなければよかった・・・。

だけどそれ以上は何も言えずに、ただ、歩き去る速水を見送ることしかできなかった。



 

 あれから、速水とはどこかギクシャクした関係が続いていた。心配した東原ののみが、「なかよくしなきゃめーなのよ」と言ってくる。滝川だって、一晩考えて二晩考えて、言ってしまった言葉に対して謝りたい気持ちが膨らんできていた。でも、なんと言えばいいのかわからない。速水を傷つけてしまった。あの表情を思い出すたびに自己嫌悪で泣きたくなる。


 

 そんなある日の放課後。すでに皆仕事や訓練に向かっておりプレハブ校舎の教室には誰も残っていない・・・はずだった。忘れ物に気がついて校舎に戻ってきた滝川は、ドアを開けようとして止まった。中から声が漏れている気がしたのだ。しかもそれは、よく知る速水のもののようだった。立て付けの悪いドアの隙間から、中をのぞき見る。そこには速水と、長身の男。色男で知られる瀬戸口がいた。

 速水は机に腰掛け、瀬戸口の背に手を回していた。制服は乱れている。瀬戸口の手は影になって見えないが、速水に触れているようだった。一瞬、何をしているのかわからなかった。理解してから急に嫌な汗が吹き出る。

「瀬戸口・・・続きは、誰も来ない所でだ」

窓からの夕日に照らされた速水の瞳は妙な妖しさを湛えていた。滝川の知る、速水厚志のものではなかった。

「おいおい、生殺しにするのか?そっちから・・・」

「安全の保証されてない場所で脱ぐのは嫌だ」

「それが燃え・・・わかったよ」

降参、というポーズで名残惜しげに下がる瀬戸口と、服を整え髪をかきあげる速水。ギシ、と滝川の立つ床が小さく鳴った。瀬戸口がこちらを向く。次の瞬間には滝川は弾かれたようにその場から逃げ出していた。

 

 

 裏庭まで走って物陰で息を整えた。心臓が口から出そうだった。顔が熱い。冗談、とも思えない。キスすら、経験はないが、流石にあれがどういうことか分からないほど滝川は子供ではなかった。

自分が知らなかっただけなのだろうか。本当は、ずっと・・・俺だけ知らずに。滝川は母親が変わってしまった日のことを思った。いや・・・あれとも、違う。

滝川は座り込んで膝を抱えた。速水の表情が、声が脳裏によみがえる。胸の底が焦げ付くような心地がした。

「・・・くそ・・・・速水・・・」

苦しかった。自分がここ一ヶ月ほどで知り合い、一緒に過ごした時間は何だったのだろう。一緒にいた相手は一体“誰”だったのだろう?俺はあいつの何だったんだろう。

 俺は速水のことがこわい。変わっていくあいつがこわい。

でもどうして、それがそんなにこわいのか。苦しいのか。

「くそぉ・・・・」

滝川は壁を殴って惨めたらしく泣いた。悔しくて泣いた。

速水のことが好きだと初めて自覚した。


 

 

 瀬戸口隆之が他の捜索班と共に駆けつけた時、速水は白い池の中で、滝川陽平の遺体に口付けていた。その光景は遥か昔の、死者を送る“彼女”の姿に重なって見えて、瀬戸口はしばし状況を忘れて見蕩れた。

何も言わず立ち上がった速水の周囲に、守るように青い光が漂い宙に溶ける。

「帰ろう」

ぽつりと、振り向いた速水は言った。滝川に言ったのか瀬戸口に言ったのかはわからなかった。青い瞳は、泣いてはいなかった。

 

 

「はっ・・・あっ、あ・・・・・」

華奢な背がびくびくと震える。向かい合って跨ぐ形で瀬戸口の身体に乗った速水は突き上げる度に甘く喘いだ。深く深く内部に穿たれたそれを締め付けるように肉壁を収縮させ、淫らに腰を揺らす。

「せ、とぐ・・・あっ、ひぅ・・・・!」

縋りついて名を呼ぶ少年の頭を子猫を愛でるように撫でてやる。柔らかな髪をかきあげると、こめかみや生え際が妙に青く見えた。伏せた睫も、同じ色。この色が何を示すのかは、知っていた。

「はっ・・・あ・・・」

「よしよし・・・気持ちいいか?」

「こども扱い、やめ・・・」

「子どもにこんなことする趣味はないさ」

なだめつつ、未熟な身体を犯すのは背徳的な気分になるが。実際問題速水はまだ子どもだ。だがこの身体は、男を受け入れることにどういうわけか慣れている。こいつは一体どこから来た誰なのか。

小隊の司令である善行にしろ、芝村舞にしろ、速水の素性について知っていてあえて触れていない節がある。芝村なら言うだろう。そんな“些事”よりも勝つことの方が重要だと。瀬戸口にとってもそこは大して重要な事ではなかった。精神寄生体、鬼である瀬戸口にとって大事なのは、中身の方だった。勿論この肉の器の愛らしさを愛おしく感じてはいるが。

あごの下を撫でて上を向かせる。すっかり快楽に溶けた青い瞳。それを見ながら小さな唇を覆う。瀬戸口は速水と滝川の口付けを思い出していた。正確には、物言わぬ亡骸との。

舌を絡ませながら片手で華奢な裸体を辿る。

「んっ・・・ふ、ぁ・・・・・」

速水の口端から零れた唾液を舐め取って、瀬戸口は優しく聞いた。

「なあ」

「ん・・・?」

「・・・滝川は、最後に何か?」

速水は綺麗な瞳をわずかに見開く。吸い込まれそうな青。1000年間、焦がれてやまなかった色。

目が合ったまま、数秒。速水は視線をそらしてからぽつりと呟いた。

「すき・・・だったって。僕のこと」

「そうか・・・あいつも、やるな」

小首をかしげる速水に苦笑して、瀬戸口は再び彼の身体を揺さぶりはじめた。

知らない方がいいこともある。


 

 

 滝川が速水を好いていることを、瀬戸口は知っていた。

それがただの憧憬ではなく、恋だったことも。

 

「瀬戸口さんは速水と、どういう関係なんすか」

そう尋ねられたことがある。

「どういう、っていうと?」

問い返すと滝川陽平はしどろもどろになって、顔を隠すように自分のゴーグルを掴むと「この間、教室で」とだけ言った。誰かに見られているような気はしたが、滝川だったらしい。

 速水に拒否されて途中でやめたから未遂ではあったが。やっぱり速水のいうとおり教室で盛るのは危ない。いやそもそもあの時は速水の方から・・・

「俺・・・あいつがわからなくて。まさかずっと・・・」

「もし、そうだったらどうするんだ?」

「っ、それって」

「滝川、おまえさんは速水の何でいたいんだ?」

滝川は戸惑った様子で「俺は・・・」と俯いた。言葉は続かない。瀬戸口はそれを見て大きく息を吐き、両手を広げた。

「いいか・・・?お前さんの価値感で、あいつを測ってやるな。あいつに対してだけじゃない。真実を知りもしないで説教するな。人間がみんな同じ方向向いて同じ顔してたらヘドが出る、だろ?」

滝川は、この小隊では珍しいくらい普通の少年だ。偶然遺伝適正が合ったために数合わせで入れられた、と言ってもいい。そういう意味では、不幸なのだろう。最近の速水の変化に戸惑うのもわかる。瀬戸口は滝川の“普通の感性”が別に嫌いではなかった。

「瀬戸口さんは」

「俺は、あいつのことが好きだよ」

滝川が息をのむのがわかった。瀬戸口は人の悪い笑みを浮かべる。

「ま、あいつは芝村の姫さんにめろめろだがな」

「あんたは・・・他の女の子としょっちゅう遊んで・・・速水も、芝村が好きならどうして」

「言ったろ。愛は違っててもいいやと満足することだ」

「わっかんねえ・・・そんなの」

滝川は苦々しげに呟いた。その目に宿る感情を瀬戸口は知っていた。馴染み深いものだ。本当は瀬戸口だって、速水が芝村舞に心酔しているのは面白くない。それは、人の感情のひとつで、嫉妬という。

「おまえさんも、速水のことが好きなのか?」

わざわざ尋ねたのは、意地悪からだった。案の定滝川は顔をかわいそうなほど真っ赤にして「違う!」と声をあげた。速水や自分のように嘘をつくことに慣れていないのだ。速水も本当に困ったやつだと思う。先代と変わらない。稀代の人ったらしで神ったらし。

「若いってのはいいなあ」

走り去っていく滝川を見て瀬戸口はぼやいた。

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