NEKOPLUS+
ふわっと、頭上を黒い影が横ぎった。
烏だ。誰かが呟いた。
荷物を小脇に抱え走り去ろうとしていた男の視界を遮るように黒い羽をばたつかせ頭をつつく。慌てて振り払おうとした男の左足に今度は青い毛並みの犬が噛みついた。軍用犬としても活躍している犬種だ。鋭い目つきと大きさに男が怯む。その隙に背後から近付いてきた青年が男の腕から荷物を奪い取った。
「ちっ・・・くそ!」
「残念だったな」
烏は悪態をつく男の頭をもう一度こつんとつついてからふわりと飛び、青年の肩にとまった。その瞳は烏にしては珍しい緑色をしている。青年が小さな頭を指先で軽く撫でると烏独特のしゃがれたような鳴き声が勝利を告げるように周囲に響き渡った。
「いや、ありがとう。助かったよ」
「礼ならこいつらに言ってくれよ」
犬と烏を連れた奇妙な青年はそう言って笑った。長身痩躯に長い黒髪。連れている烏と同じように全身黒づくめの服装をしている。足元の犬がぱたぱたと尻尾を振った。
話してみると彼は帝都に行く途中なのだという。騎士にでもなるのかい?と冗談交じりに尋ねると彼はどうだろうなあと曖昧に答えた。
「色々あったけど騎士団も大分変ってきたしね。新しい騎士団長・・・フレン・シーフォと言ったかな?下町出身だなんて一昔前なら考えられないよ」
「フレン・・・?」
「知らないのかい?つい最近就任式があったらしいけど」
フレン、と青年はもう一度呟いて何かを思い出そうとするかのように俯いた。するとそれに応えるかのようにクゥンと犬が鼻を鳴らす。
「ここから帝都までは遠いけど、お兄さんも気を付けてね」
もう一度礼を言って頭を下げたが、「ああ」と頷く青年はどこか上の空な様子だった。
**************************************
頭痛。眩暈。耳鳴り。
定期的にやってくるそれらの症状は少し安静にしていれば治まる。
ユーリは海を渡ってくる風に吹かれながら石畳の道をゆっくりと歩いた。明るい日差しが眩しい。頭の奥がぼんやりとして、色鮮やかな風景が一瞬反転して見えた。頭を振り、目をきつく閉じて開く。遠くに見える船の帆が水平線に消えた。
未だ記憶を取り戻せてはいない。
魔物との戦い方や料理のレシピなど、生活に必要なことは苦も無く思い出すことができた。
しかし自分がどこの誰でどうして帝都を目指しているのかは分らないままだ。まぁ、そのうち思い出すだろう。焦っても仕方ない。そう楽観的に考えてはいるが不安になることがないわけではない。
「なあ、レイヴン」
柵に頬杖をつき、高台から海を眺める。隣にとまるレイヴンはくりっと首を傾けた。レイヴンのこともまだ思い出してやれていない。こうなってしまったのにも理由があるのだろうに。
「フレン・・・って、知ってるか?」
レイヴンはもう一度くりっと首を動かした。レイヴンは人語を解してはいるがユーリの問いに答えられる声帯は持っていない。
フレン。その名前を口にするとまた軽く頭痛がした。きっと自分にとって意味がある名前なんだろう。
どこまでも続く青い海に青い空。
「これが、あいつの見てる世界か・・・」
ぽつりと呟いてから、あれ?と自分の唇に触れる。オレ今何て言った?
首をかしげると手の甲に熱い滴が落ちた。何かと思ったが、自分の涙だった。悲しいわけでもどこか痛いわけでもない。しかし何故か拭っても零れて止まらない。
どうしちまったんだ、おかしいな。ラピードが落ち着かなげに鼻を鳴らしユーリの足にすり寄った。レイヴンも慌てたようにぴょんぴょんと両足で動きユーリの様子をうかがっている。本当にどうしてしまったのだろう。涙腺が壊れてしまったかのようだ。
レイヴンは軽く飛び上がって曲げられたユーリの二の腕に乗ると、涙をぬぐおうとするかのようにくちばしをすりつけてきた。その必死さに少し心が和む。
「・・・大丈夫だよ、レイヴン」
見下ろすとレイヴンの黒い頭にもぽたりと滴が落ちた。
急降下してきた黒い影が瞬きする間に人の姿に変わる。紫色の羽織がふわりと舞った。
レイヴン。ユーリは呟いた。
素早く身を翻らせ地面を蹴り、ユーリの腕を掴んでいた男の頭を的確に蹴り飛ばす。そのまま横に棒立ちになっていた男の首筋に手刀を一発。大柄な体が膝から崩れ落ちる。
呆気にとられていると強く手を掴まれた。
手を引かれ暗い夜道を歩く。
痛いくらい力をこめて握られた手。レイヴンは呼んでも振り返らない。隣を歩いていたラピードは呆れたように一声小さく鳴いて先に行ってしまった。お前オレを置いてくつもりかと言っても軽くしっぽを振るだけ。
金目的だったのか他の目的があったのかはわからないが、あの段階ではまだ何もされていなかった。つい挑発的なことを言って煽ってしまったがラピードもいたし、レイヴンがああしなくても切り抜けられただろうと思う。嫉妬深くて心配性なのは烏の時と変わらない。
夜になるとレイヴンはこうして数時間だけ人の姿になる。毎晩というわけではない。調べれば何か法則があるのかもしれないが知ったところでどうなるわけでもない。ユーリよりも10cmほど低い背丈。後頭部でまとめたぼさぼさの髪にだぼっとした服。その胸には今は見えないが心臓の代わりに魔導器が埋め込まれている。
「レイヴン?」
やっとレイヴンが振り返った。
瞳の色だけは烏の時と同じ緑色をしている。しばしお互い無言で見つめ合った。
烏の姿の時は烏の声で鳴くことができるのに、人間の姿のレイヴンは声を失っている。この男がどんな風に話すのか、どんな声でユーリと呼んでいたのか、まだ思い出すことができない。本人も話せないことを歯がゆく思っているようだ。レイヴンは眉間にしわを寄せてユーリを何か責めるような目で見つめ、手を握りなおした。そしてまた正面を向き大股で歩きはじめる。ユーリは首をかしげた。
「怒ってんのか?」
「・・・・・・・」
いいから黙って歩けと言わんばかりにぐいぐいと手を引かれる。ユーリはそれに従って歩きながら空を見上げた。
満月だ。
「ぁっ・・・ん・・・」
熱心に首筋や耳を舐めていた頭が胸元に移動する。突起を舌でつぶされ弄られ、ユーリはきゅっと目を瞑った。窄まりに突き入れられた二本の指は先程から一定のリズムでゆっくりと抜き差しされている。強張った粘膜を慣らすように時折小刻みに律動させ、内部を擦る指先。前回から間があいてしまったので仕方ないが、ユーリはこの前戯が得意ではない。
レイヴンが人の姿になった夜はほぼ必ず体を重ねる。
そのために姿を変えたとでも言うように。
レイヴンはユーリの身体を知り尽くしている様子だし、ユーリ自身もどうやら慣れている。
記憶を失う以前は恋仲だったのだろうか。それもなんとなく、しっくりこないのだが。
「も・・・いい、だろ・・・?」
そう訴えてもレイヴンは聞き入れない。決定的な刺激が足りず勃起したまま焦らされている性器には触れてくれず、探るように内部の指を動かす。耳は聞こえているくせに。
ユーリはレイヴンの髪を軽く掴んだ。顔をあげたレイヴンと視線を絡ませる。
「くれよ・・・指じゃなくて、あんたのが欲しい・・・」
「・・・・・・」
そう懇願すると瞳の奥に確かな熱情が揺らめくのがわかった。
指が引き抜かれたら自ら両脚を大きく広げる。レイヴンの手がユーリのひざ裏を掴んだ。
「んっ、あ、ぁ・・・・」
散々慣らされたせいか痛みはそれほど感じない。ただその質量に息が切れ切れになる。ユーリはレイヴンの背に手を回し縋り付いた。
「あ・・・ふ・・・・」
肉壁を押し広げながら奥へ奥へと押し入ってくる異物に身を震わせる。身の内で脈打つそれはユーリが締め付けると体積を増した。熱い。
ユーリ、と男の薄い唇が動くのがわかった。勿論声は聞こえない。ただそれが一瞬、記憶の彼方の声と重なった。
(ユーリ、好き。愛してる。本当よ)
情けない、泣きそうな男の声。まるでこっちが信じてないとでも言いたげな。そう、だから面倒くさいんだ。言わないとわからないのか。
「はっ・・・ぁ・・・・オレも・・・愛してるよ・・・」
緑色の目が見開かれ、それからすっと細まった。一度引いてから一気に奥まで貫かれる。
悲鳴を上げる間もなく激しい律動が身を揺さぶった。
「あっ・・・は・・・やぁ、あ・・・・!」
感じる部分を何度も突かれ身が引き攣る。全身を鋭く駆け巡る快感。無意識に逃れようとした体を押さえつけられ同じ部分を繰り返し責められる。喉が勝手に震え嬌声をあげた。
「やっ・・・!あっ・・・・レイ、ヴン・・・・・」
限界が近いのを感じながら目を閉じると額に唇を押し付けられた。目を開くと涙で歪んだ視界に映った唇がまた動く。
あいしてる。
痛いくらい勃起していた性器を軽く掴まれると呆気なく達してしまった。同時に身の内で射精される感覚。ユーリはレイヴンの体を思い切り抱きしめた。
「帝都に行くんなら港町から船に乗らないといけないんだもんなぁ」
ベッドにうつ伏せに寝転がりながら地図を広げる。背中にぴょんとレイヴンが乗った。
「飛んでいけたら楽なんだけどな・・・」
生憎ユーリとラピードには翼がない。街の人に尋ねてみたところ魚人からの護衛をしながらならば商業ギルドの船が乗せてくれるかもしれないらしいが・・・どこかで聞いた話のような気がする。
「前にもあったっけか?」
レイヴンに聞いてみてもくるっと首を傾げるだけだ。ベッドの横に座っているラピードがワフっと吠える。ユーリはぐっと伸びをした。とりあえず腰も痛いし、もう少し休もう。
帝都までの道のりはまだ遠い。