NEKOPLUS+
「3556・・57、58・・・・・」
冊数を数えメモを取る。すると後ろから控えめに声をかけられた。
「あの、すみません、本取ってもらえますか・・?」
振り返ると女の子が二人。僕は手前の少女が指差した先にある本を棚から取り出し「はい」と彼女に渡した。
「ありがとうございます・・!」
「どういたしまして」
小さく何度も頭を下げ去っていくのを微笑ましく見送り作業に戻る。
僕は街の唯一の図書館で蔵書整理の手伝いをしている。調度働いていた女性がおめでたで来られなくなってしまい人手が不足したため呼ばれたのだけど、足台がなくても棚の上まで手が届くし重い物を運ぶのも苦ではないからそれなりに役にたてていると思う。高い天井、傷のついた石の床。ひんやりとした静かな空気。この街の建物は古いものが多いけれどこの図書館はその中でも歴史ある建築物らしく大きくて風格がある。僕はとても気に入ったのだけどユーリは本が苦手で数度しか入ったことがないという。
蔵書はほとんどが交易によって入ってきたものであり、いつどんな本がくるか分からないため整理が大変だ。古い本ばかりで触っただけで崩れてしまいそうなものもあるため扱いにも苦労する。
「なんだかあなたが来てから来場者が増えたみたい」
「? そうなんですか?」
大分この街にも馴染んだと思うけれどまだ珍しいのだろうか。
司書の女性は苦笑し、僕に修繕と書かれたダンボールを渡した。
「気持ちはわかるけど来るだけじゃなくて本もどんどん読んで欲しいんだけどね・・。
これ、修繕に出しといてくれる?今日はそれで終わりでいいわよ」
「分かりました。お疲れ様です」
*
倉庫にはまだラベルが貼られていない未分類の本が沢山ある。
背表紙の羽が気になってそのうちの一冊を棚から取り出した。白く表面を覆う埃を払うと現れたのは羽を持った黒髪の少女。簡略化された絵だからかもしれないけれどユーリに似ているなと思った。
ここにあるのは全て外の世界で書かれた本だ。僕はこの図書館で手伝いをするようになってから暇をみつけては本を読んでいる。どこかにこの街の外がどうなっているのか、この街はどうしてここにあるのか書かれていないだろうか。今のところ欲しい情報は見つかっていない。
開いたのは優しい色使いで描かれた絵本のようだった。どこかノスタルジックな雰囲気のある可愛らしい絵。灰羽だとは書いていないがどうやらこの少女は灰羽らしい。背景はこの街に似ているしこの街に来た商人か旅人が帰ってから書いた本なのかもしれない。のどかな日常生活の様子。随分古い本のようだが昔からあまり灰羽の生活は変わっていないらしい。あるページから黒い羽の少年が登場した。少年はいつも一人で少女にも心を開かない。他の仲間からも遠巻きにされ、少女だけが少年を気にかけている。少女が巣立つ前の夜、少年は少女に髪飾りを渡し絵本は終わる。
僕はそっと本を閉じて背表紙にラベルを貼り、絵本を仕分けている棚に置いた。
そろそろ箒星に戻らなければ。
帰る途中、街角で不思議なものとすれ違った。黒いマントを羽織り顔に仮面をつけたソレはすっと僕の横を通り過ぎ、風景に溶けるように消えていった。怖いと思うことは無かったが不思議だった。この街にはまだまだ分からないことが沢山ある。
相変わらず雨は降り続いていて遠くからは雷の音が聞こえた。この肌寒い雨の季節が終わると夏がやってくるのだという。
*
「ユーリ・・?」
街を縦断するように流れる川の大きな橋の入口にユーリがいた。傘もささずに数人の灰羽達と一人向かい合っている。小型のビークルに立てた髪。皆少年のようだ。あの風体はおそらく廃工場を住居にしている灰羽達だろう。箒星よりも平均年齢が高く、一言で言ってしまうと柄が悪い。
決して悪さを働いたりするわけではなく一人一人と話してみると普通に良い子達なのだが、そういう風に振舞いたい時期なのだろうとユーリは言っていた。
「雨降ってるしオレもそろそろ帰らなきゃならねえんだけど」
「うるせえ、そんなこと分かってるよ・・!大体、あんたが、」
「オレがなんだって?」
話の途中のようだったけれど雨が更に強くなってきたため僕はユーリに近寄りその体を傘に引き入れた。紫色の目が見開かれる。
「フレン・・!」
「風邪ひくよユーリ」
髪も服も既にずぶ濡れのようだ。まったく・・とハンカチで顔を拭いてやる。
一番前にいた灰羽の少年は僕と目が合うと何だか悔しそうに唇を噛んだ。
ああこれは、あれだ。
少年は僕のことをきっと睨んだ。
「おまえ・・そんな奴と一緒にいると、罪憑きが感染るんだからな・・・!」
「罪憑き?」
感染る?どういう意味だろう。
僕が首をかしげると少年の表情が言ったことを後悔するように曇った。
「いいから帰れよ。暗いし雨降ってるから怪我しないように気をつけろよ」
ユーリは罵倒らしき台詞にも特に反応はせずいつも通りの調子でひらひらと手を振った。
少年達はそれ以上は何も言わず、橋の上を逃げるように引き返していった。
「何か知らないけどやたらと絡んでくるんだよ。悪い奴らじゃないんだけどな」
「君のことが好きなんだろう」
「お前と一緒にすんなよ」
鋭いくせにこういうことはどうして分からないのか不思議だ。
既にずぶ濡れなんだから気にすんなというユーリの体を傘からはみ出ないように肩を抱いて引き寄せた。
長い髪は濡れて肌に張り付き、布の下の羽の形もいつもよりもはっきり分かる。
「罪憑きってなんだい?」
「・・・・・・・」
ユーリは答えない。
「僕には話せないこと?」
それなら仕方ないけれど、寂しい。
僕はまだほんの数ヶ月分のユーリしか知らない。世界や街のことも知りたいけれど何よりもまずユーリのことを知りたかった。
「知らない方がいいと思うけど」
「僕は君のことなら何でも知りたいよ」
ユーリは肩に乗せた僕の手をそっとはがした。
「馬鹿な奴・・」
*
ユーリの部屋は長くここに住んでいるらしいのに私物が少ない。
壁には子ども達に描いてもらった似顔絵が貼り付けてあり、窓際には小さな鉢植えが飾ってあった。ユーリが自分で買ったとも思えないからあれも貰い物なのだろう。
ユーリは僕の目の前でバサリと水分を含んだ服をまとめて脱ぎ捨てた。
縮こまっていた羽を広げると水滴が飛ぶ。
僕はその色に目を見張った。
「罪憑きの色だよ。感染りはしないから安心しろ」
黒斑の羽。
それは付け根に近い部分ほど灰色の面積が大きく、先端部分は墨に浸したように真っ黒だった。近づき触れてみる。
くすぐったいとは言われたがやめろとは言われなかった。
「罪憑きに巣立ちの日はこない」
「巣立たない・・?」
「代わりにある日この街の全員の記憶から消え去って羽も頭の輪も取れてただ街をさまよう亡霊になる」
お前も見たことがあるんじゃないか?
そう言われて今日帰り道見たものを思い出した。黒いマントと仮面の幽霊。
あれも過去は灰羽だったのだろうか。僕は身震いした。
「そんな・・どうして」
「さあ、この街に生まれた時には既にこうだったからな。前世の行いが悪かったんじゃないか?」
ユーリは動揺する僕に軽い調子で笑いかけた。
「心配すんな。この羽が全部真っ黒になるまでにはまだ時間がある。だからお前がこの街にいる間は多分一緒に居てやれるよ」
「そういうことじゃない・・!」
思わずユーリの肩を掴みベッドに押しつけた。黒斑の羽が一枚抜けて宙を舞う。
「落ち着けよ。お前が知りたいって言ったんだぜ?」
僕の頬を撫でるその表情は子ども達をあやす時とまったく同じだった。
孵化の直後でも繭の中で見ていた夢をまったく思い出せないことと黒斑の羽が罪憑き灰羽の証。罪憑きは街に守られ見送られる他の〝良い灰羽〟達と違いこの街から永遠に拒絶された存在。満たされず、許されない。
僕は大きく息を吸い込んだ。
「灰羽は・・性行為を行うことを掟で禁止されてるよね?」
そもそも未成年の灰羽がほとんどなのだから当たり前だけれど。
「君を犯したら、僕も罪憑きになるのかな・・・」
「馬鹿なことはやめろよ。
さっきも言った通りこれは感染らないし、掟を破ったくらいで罪憑きにはならない」
噛み付くように唇を塞ぐ。
弱く胸を押されたが気にしない。
そう言われているっていうだけで、試してみないとわからないじゃないか。
「おいていかれるのも、おいていくのももう嫌だよ」
何度もあんな思いをするのは嫌だ。
泣き言を言って細い腰に手を滑らせ首筋に顔を埋める。
「お前が夢の中で誰においてかれたのかは知らねえけど、それはオレじゃない・・」
目を覚ませ。
そう言って僕を引き剥がそうとするユーリを力でねじ伏せる。大声を出せばいいのにそうしないのは子ども達にこの光景を見せたくないからだろうか。
それをいいことに僕はゆるくもがくユーリのズボンを引きずりおろした。
ユーリが泣くのをはじめて見た。
灰羽として生まれてから性欲なんていうものはほとんど感じたことがなかったけれど、ユーリの肌に触れると忘れていたはずの感覚があっという間によみがえって。そしてやっぱり僕は君を知っていると思った。はじめてのはずなのにこの肌の感触やしなやかな身体を僕はどこかで覚えていた。
僕の羽が罪憑きになることはなかった。