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あんたをここに運び込んだのはくたびれた羽織りを着た中年の男だったよ

え?どこに行ったかって?

さぁ、気がついたら消えちまってたんだよ

荷物ならそこの犬が大事そうに守ってるよ。あんたの犬だろ?

あとそこにいる烏も

それにしても困ったねえ。どこから来たのかも思い出せないのかい?


 

見ると青い毛並みの大きな犬が心配そうにこちらをみつめている。その首には確かに袋を下げており横には刀が立てかけてあった。多分自分の刀なのだろう。

ユーリは首をかしげた。

「・・・らぴーど」

そうだ、ラピードだ。オレの相棒。

どうしてここにいるのか自分がどういう人間なのかも思い出せないが窓が窓であり机が机であると分かるようにその犬の名がラピードだというのは自然と思い出せた。

呼ばれた犬はピンと耳を立て嬉しそうにしっぽを振ってみせる。それを見てなんだかこちらも嬉しくなった。あの毛並みを撫でてやりたい。

「犬の名前が分かるなら自分の名前も思い出せるんじゃないかい?」

そう言われてそれもそうかと頭に手をあてて考えてみる。オレの名前、オレの名前・・・

ぼんやりとした記憶の彼方で誰かが呼んだ。

「・・・ユーリ・・確か、オレの名前はユーリ・・ローウェル、だ」

「おお、良かった。その分なら少しすればとんでる記憶も戻りそうだね」

まったく何も思い出せないって言うから心配したよと宿屋の主人らしい男は笑った。

「で、そっちの烏は?」

窓際には一羽の烏がとまっている。烏のくせに瞳だけは珍しい緑色をしているのが特徴的だ。ユーリがその目を見て首をひねると烏も一緒に首をかしげる。見覚えのある緑色。ユーリは思い浮かんだままに呟いた。

「・・・レイヴン」

「そのまんまじゃないか」

烏は呆れたように肩を竦める男の横をふわっと通り過ぎベッドの端に着地した。近くで見ると結構大きい。両の足でぴょんと跳びユーリの腹のあたりに乗ってきたそいつとまたにらめっこをする。

レイヴン。レイヴンで間違いないと思うが、こんなんだったか?何か違うような気がする。

それにオレは・・

「ていと」

「ん?」

「ていとって場所への行き方知らないか?今ふと思い出したんだがそこに向かってた気がする」

「ていとって、帝都かい?そうだねぇ・・ここからは結構遠いよ?町の外には魔物もいるし護衛でも雇わないと」

「平気だ。オレは多分そこそこ強い」

自信を持って言うと呼応するようにラピードがワオンと吠えた。そう、武器もあるし心強い相棒もいる。想像すると気分が高揚してくるぐらいには戦うのが好きだ。多分。

男は本当かねえと首をかしげながらも親切なことに周辺の地図をくれた。まずはこの町を出て東に向かえばいいらしい。そう遠くない距離にまた他の町がある。そうしたらまたそこから港町に向かって船に・・。うん、大体分かった。

「色々わりぃな。宿泊代と地図代と気失ってる間に世話になった代金でいくら払えばいい?」

「いや地図はサービス。世話代っていっても大したことしてないしそれも無しでいいよ」

ラピードが持ってきた袋を開くとそれなりの額のガルドが入っていた。一人と二匹の旅ならばしばらくは困らないだろう。

ユーリは礼を言って宿泊代を払い、男が出て行った後でもう一度ベッドにごろんと寝転がった。ベッドフレームから逆さまに見下ろしてくる緑色の目。流石に鳥の表情は分からない。

「そうだな・・少ししたらここを出て、歩いてるうちに色々思い出すかな。お前のこともさ」

手を伸ばすと烏は指先にキスでもするようにくちばしを擦り付けてきた。




 

ねえ、そこの君。そう、君だよ。

一瞬女性かと思ったよ。綺麗な顔してるね。いやちょっと無視しないで。

その風体からして旅人かい?宿とか決まってるの?

なんなら俺が・・・いててっ!うわっ!なんだこの烏・・!


 

「ああもう、レイヴン」

つつくのは痛そうだからやめてやれ。

男が逃げ出すとレイヴンはユーリの元に戻ってきて腕にとまり、ざまあみろとでも言いたげにふんとふんぞり返った。隣ではラピードがふわわと欠伸をしている。どうもこの烏はやきもち焼きなようだ。そして構ってもらいたがり。

「駄目だろああいうことしたら」

めっと叱ってもツーンと顔を背けるばかり。

レイヴンは烏でありながら人間の言葉をある程度理解している。いや、ある程度どころかほぼ分かっているような気さえする。しかしあまりユーリの言うことは聞いてくれず自由に周りを飛び回り、寄ってくる男には容赦しない。

「落ち着き無いな。ちょっとはラピードのこと見習えよ」

烏に向かって犬を見習えとは自分で言っておいてどうかと思うが。ただ、ユーリを守ろうとしてくれているのは分かる。記憶を失った状況でもあまり不安にならずいられるのはラピードとレイヴンのおかげだ。本当に一人だったら流石に心細かっただろう。

腕に乗りユーリに背を向けている黒い頭にちゅっと軽く口付けた。

「ま、ありがとな」

するとレイヴンはさっとユーリの方を振り返り、じっ・・とユーリの目を見つめた後一声鳴いて飛び去っていった。

照れたのだろうか。烏のくせに。




 

「ん・・・・」

安宿のベッドで眠りについてから数時間。時計を見るとまだ真夜中だった。

大切なものの夢を見ていた気がする。沢山の仲間と、穏やかな時間。ただ肝心の仲間の顔は思い出すことができない。

頬を撫でる風。3階なので開けたままでおいたのだ。そこから風が吹き込んでいるらしい。

バササ、と羽音が聞こえた。レイヴンが起きているのか。確かベッドフレームに掴まって眠っていたはずだが。

クゥン、とラピードが鳴いた。ギシギシと足音がする。何やら騒がしい。

「どうしたんだお前ら・・・」

ユーリは目を開き半身をベッドから起こした。

 

窓から差し込む僅かな光に照らされて、一人の男が立っていた。

 

思わず声も出せずに固まる。

侵入者、だろうか。それともまだ夢を見ているのか。

ダボっとした羽織りとちょんまげ頭がシルエットになっている。ラピード、と愛犬を呼んだがラピードは男を全く警戒せずそれどころか軽くしっぽを振って男のにおいを嗅いでいる。ラピードはこの男を知っているのか。

男は呆然としているユーリの元へゆっくりと近寄り、ベッドに乗り上げてきた。

「あ、あんた・・・・」

垂れ気味の優しげな瞳。月明かりに照らされたそれは綺麗な緑色をしていた。

この色を、オレは知っている。

伸ばされた手が頬を撫でる。その無骨な手は表面が少しかさついていて、その感触もユーリはどこかで知っていた。

「・・・・レイヴン?」

そうだ。レイヴン、だ。この男は。

でもレイヴンは烏で・・・

混乱しているユーリを男はそのまま押し倒した。抵抗する気はわかない。むしろ慣れているような気さえする。そうだ、オレは慣れている。この男にこうされることに。

あの宿屋の主人の言葉を思い出す。あんたをここに運び込んだのはくたびれた羽織りを着た中年の男だったよ・・・・。

 

頬に、額に、唇に、ちゅっちゅっとついばむようにキスをされた。レイヴン、と呼んでも男は小さく頷くだけで喋らない。喋れないのかもしれない。

ユーリは男の胸元にそっと触れた。びくりと一瞬男の動きが止まる。布越しにも分かる固い感触。

これは、

「烏の時には自前のだったのにな」

「・・・・・・」

「しっかり動いてるよ」

指先に伝わる僅かな鼓動。そうこれは、男の命を繋いでいるもの。そう、レイヴンは自分の心臓を無くしている。

その薄い唇が何かを語るように動いて閉じられた。やはり喋ることができないのか。

すると男はがばっとユーリを抱き込み深く口づけてきた。歯がぶつかりそうなぐらいの勢いで角度を変えて何度も。まるで言葉にできない感情を行為でぶつけるように。この男は元はおしゃべりだったはずだ。だから余計になのかもしれない。

「んんっ・・・・・レイ、ヴン・・」

「・・・・・」

「レイヴン・・・」

懐かしい焚き染めた香の香り。その背に手を回し抱きしめる。虫食いの穴があいたような記憶。どうやって出会ったのかとか、どうして心臓が生身じゃないのかとか、どんな風に一緒に過ごしていたのかとか、具体的な事はまだ思い出せない。それでもこの男がとても大切な相手だということは分かる。

「・・あんたは確か、陽気に振舞ってるくせに卑屈で心配性で、面倒くさいおっさんだったな」

「・・・・・」

「大丈夫だよ。オレの頭はちょっとボケちまってるみたいだけど、あんたが一緒にいてくれるんだろ?」

にこりと笑いかける。

レイヴンは眉を寄せ何とも言えない表情をしてからこくりと頷いた。



 

目覚めた時には抱きしめて眠ったはずの男の姿は消えていた。

上半身を起こし伸びをする。今日も快晴なようだ。しっぽを振りながら起きだしてきたラピードに朝の挨拶をしているとどこからか飛んでききた烏がユーリの隣にとまった。

「レイヴンもおはよ」

烏は一声控えめに鳴きぴょんとユーリの膝の上に乗った。

「夢じゃないよな?」

目を合わせ首をかしげてもレイヴンも同じように首をひねるばかり。その様子を見ていたラピードが呆れたようにワフゥと鳴いた。

 

とりあえずシャワーでも浴びて着替えて出かけようか。

ユーリは膝から中々降りようとしない甘えたなレイヴンをどうにかどかし立ち上がった。

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