NEKOPLUS+
浅いすり鉢状になった街。
建物が密集した市街地の向こうには農作地が広がり、それら全てを丸く囲む城壁が見える。それより更に遠く、目を凝らしたが朝霧で霞んだ森が広がるばかりで何も見えはしなかった。
あの向こうに僕の居た場所があるのではないだろうか。
そう思うたび、もやもやとした焦燥感を覚える。こんな場所でのんびりしている暇はないはずなのだ。僕にはやるべきことがある。戻らなければ。
しかしそう口にする度、ユーリはオレ達には戻る場所なんてないんだよと僕を諭す。
この街では灰羽以外にも普通に人間が暮らしておりごく自然に共生している。灰羽の数は多いわけではなく街の人口からすればごく少数の存在だ。この箒星という大きな家の他に数箇所灰羽の住処があり共同生活をしている。
一定以上の年齢の灰羽達は皆それぞれの場所に迎え入れられ、人々の暮らしを手助けする形で働いている。
しかし灰羽は「お金を扱ってはいけない」という決まりがあるため、買いたいものがある場合は灰羽手帳と呼ばれる手帳に記入しそれを切り取って通貨の代わりに使用している。その精算と発行は灰羽連盟という組織が管理していて灰羽が暮らしていくための生活支援もその組織が行っている。
灰羽にはいくつかそういった独特の掟があり皆それを守って生活しているがユーリの言うとおり普通に暮らしていれば不自由は感じない。
街の人々は灰羽に優しく、穏やかだ。
ユーリと並んで街を歩くと道行く人が振り返る。
「皆新入りに興味津々なんだよ」
僕はどうやら灰羽としても本当に珍しいらしい。箒星で一番歳上で古株のユーリは既に灰羽として生まれてから十四年。僕とユーリは同じくらいの背丈で年齢も多分同じようなものだ。一番新入りなのに最年長と同じ年齢というのは今までに無いことだという。
「それとお前が無駄に男前だから見とれてんだろ」
「見とれられるなら君の方だろう?」
ユーリはむっと目を細め僕を睨んだ。
「・・お前ってほんと息をするようにそういうこと言うのな。女に信用されなくなるぞ」
「そんな、思ったことを言っているだけだよ」
「はいはい」
長い綺麗な黒髪。白い肌と夜明けの空のような色をした大きな瞳。
ユーリはとても綺麗だ。
背丈こそ同じだけれど僕よりも大分細く抱きつく度にびっくりしてしまう。そしてその度お約束のように叩かれる。
体型が違わなければこうしてわざわざ服を調達しに来ずともユーリのお下がりで済んだのだけど。ユーリのウエストに合わせたズボンは流石に僕には無理だ。
「まったく・・手間のかかる奴だな」
「何から何まですまない」
「別にいいけどよ」
服を手に入れるのにもひと手間かけなければならない。灰羽は一度人の手を介した物しか使ってはならないのだ。
果物や野菜が売っている市場を抜け、ユーリと僕はレンガ造りの大きな倉庫へとやって来た。開かれた大きな扉の中には沢山の箱が並べられており作業着の人間達が忙しそうにメモを書いたりラベルを貼ったり運んだりしている。
ユーリはそのうちの一人、何やら派手な羽織りを着た男性に声をかけた。
「おっさん」
「お、ユーリくん。久しぶり。 あら?そちらははじめて見る顔ね」
男性は日に焼けた肌に無精ひげを生やしており、僕を見ると垂れ気味の緑色の目を見開いた。
「はじめまして」
「新入りのフレンだ。こいつの服見繕ってやりたいんだけど、古着ってどこら辺にある?」
「・・・新入り?このサイズで?」
「まぁそうなるよな・・」
*
男性はレイヴンさんといい、この街の外から交易のための物資を運んできている商人だという。この街の人々は基本的に灰羽でなくともこの街から出ない。レイヴンさん曰く隣町までとても遠い陸の孤島のような街らしい。そのため交易はとても重要で、灰羽連盟の話師が交易を仲立ちすることでそこから出た利潤を灰羽の生活支援や灰羽手帳の発行に利用している。
灰羽はいつか分からないほど昔からこの街に存在しているらしく、そのことに疑問を抱く人はほどんどいない。
「青年、古着はこっちで探してあげるからちょっとハリーのところに行ってあげて。相談したいことがあるんだってさ」
「ああ、分かった。じゃあよろしく頼むわ」
ユーリは長く灰羽をやっており珍しい成人した灰羽であるため色々と頼りにされているらしい。ユーリが行ってしまった後、僕はレイヴンさんと一緒に倉庫へと入った。
「フレンちゃんって言ったっけ?いつ生まれたの?」
「はい、一週間ほど前です」
「へえ、じゃあほんとについこの間だ。もう慣れた?」
「いえ・・でもユーリがいてくれるので、色々驚くことはありますが困ることはないです」
「あの子は世話焼きだものねぇ」
レイヴンさんはユーリと随分長い付き合いらしい。
ほとんどの灰羽は成人する前に巣立ちの日を迎えるのだと聞いた。ユーリと同じ頃生まれた灰羽達は皆もう巣立ってしまったという。
「でも前この街に来た時よりも明るい顔してた気がする。顔色も良さそうだし」
「前は元気無かったんですか?」
レイヴンさんは一瞬手を止め、小さくため息をついた。
「ああ見えて色々困った子だから・・・会ったばかりのころは帰りたい帰りたいって泣いてばっかりいてね。外に連れ出してって頼まれたこともあったっけ。あ、この話したの青年には内緒ね。フレンちゃんとおっさんだけの秘密」
ジャケットを羽織った僕を見てレイヴンさんは「イケメンは何でも似合って嫌ね」と顔をしかめた。
僕は外の世界のこともレイヴンさんに尋ねたがそれを教えるのは禁止されているのだと断られてしまった。
*
灰羽は羽こそあるが飛行能力はない。飛べるようになるのは巣立ちの日だけだ。
頭上を自由に飛ぶ鳥達をぼんやりと見上げていると手を引かれた。
「迷子になるなよ」
羽を出せるように服に加工も施してもらいやっとスウェットから卒業した僕はユーリに連れられ街のまだ見ていない箇所を案内してもらった。
街の中央にある時計塔。ユーリは普段ここで働いているらしい。
「高いところが好きなのかい?」
「なんでわかった?」
「なんとなく」
ここから出たい。家に帰りたいと幼いころのユーリは毎日泣いていたらしい。その気持ちが僕には痛いほど分かる。僕が元いた場所に帰らなければと焦るのと同じ。ユーリもあの城壁の向こう、どこかに自分がいた世界があるはずと思っていたのだろう。同じように高い場所から遠くに目を凝らしていたのだろう。
僕はユーリの手を握った。
既に日は傾き見下ろす街はオレンジ色に染まっている。灰羽の掟。日が沈む前までに住処に戻らなければ。
「帰るか」
ぽつりと呟いたユーリの横顔は綺麗で、見とれた。