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「・・悪い。つい」

目覚めた瞬間、反射的に抱きついた僕を彼は容赦なく殴り飛ばした。一度起き上がった体が再びベッドに沈む。頭から星が飛ぶとはこういう感覚を言うのだろうか。
痛い・・・が、悪いのは僕だ。
「こっちこそ、ごめん」
ベッドの周りには彼以外にも十代半ばくらいの少年少女が数人いて、少し遠巻きに、しかし好奇心に満ちた眼差しで僕を見つめていた。ドアの外では部屋に入れてもらえない小さな子ども達がひそひそと囁きあっている。
しかし僕はそれどころではなかった。
「とりあえず元気そうだな」
そう言って微笑んだ彼に、僕の視線は釘付けだったから。見えない何かに固定されてしまったかのように目も首も動かすことができない。
動かない僕を不審に思ったのかひやりと冷たい手が僕の額に触れた。
瞬間、魔法が解けたかのようにはっと我に帰る。
「大丈夫か?やっぱ強く殴りすぎたか・・?」
「い、いや。平気だよ」
ぶんぶんと首を振って否定すると彼は「悪いとこがあるなら正直に言えよ?」と、紫色の目を細めた。不思議な色だと思った。
「大丈夫みたいだからさっさとこいつの夢聞いちゃいなさいよ。忘れちゃうわよ?」
後ろでやり取りを見ていた少女が呆れたように言った。茶色いショートヘアの活発そうな子だ。彼女は彼と僕の顔を見比べふんと腕を組んだ。
彼はそれもそうだなと頷くと足を組んでベッドに座り再び僕に向き直った。
「・・・なあ、お前繭の中でどんな夢見てたんだ?」
「夢・・?」
繭の中の、夢。

そこではじめて僕は昨日までの記憶がごっそりなくなっていることに気がついた。
忙しく毎日を送っていたはずの自分の記憶。帰るべき場所。こなすべき職務。
それらが確かにあったということは分かるのに全く思い出すことができない。

「ああ、記憶が無いとか悩むなよ。お前は昨日生まれたんだから当たり前だ」
昨日生まれた?
そんな彼の言葉に眉間に皺が寄る。
少なくとも僕は20年以上既に生きているはずだ。
「なんだいそれは・・・」
「そのままの意味だよ。それより、夢は?」
急かされて頭に手をあてる。
目を瞑ればからっぽの引き出しからその光景だけがよみがえってくる。
ああ、あれは夢だったのか。今更ながらそう思った。
「えっと・・」
「断片的でもいい」
星と、小さな手。さらさらと揺れる黒髪。
「・・・・・・暗い道を、友達と手を繋いで歩いている夢だ」
「それだけか?」
「ああ」
そうではない気がしたけれどそれ以上は思い出せない。
彼は少女と顔を見合わせ、悩むように顎に手をあてた。頭の輪が僅かに揺れる。
輪。
僕は首をかしげた。
それまでなぜ気に止まらなかったのか分からない。
それだけではない。よく見れば明らかにおかしかった。よく見なくても、普通人間にそんなものはついていない。
「失礼だけど」
「なんだ?」
「君たちのその頭の輪と背中の羽は飾りか何かなのかい?」
小さな子ども達も含め彼らは皆頭から十センチほど浮いた輪と灰色がかった小さな羽を持っていた。コスプレの類にも見えないし一体何なのだろう。
彼は僕の目を見てから言葉を探すように頬にかかった髪を払った。
彼だけは上半身に黒いケープをまとっていて羽を確かめることはできない。しかしその背には確かに膨らみがあった。
「まあ・・後で説明するよ。お前にもすぐ分かる」
「・・・・・・?」
どういうことだろう。彼は僕の頭をぽんと撫でた。
「んな難しい顔すんなよ。あとな、お前の名前だけど」
「あ、」
そういえば自分の名前も思い出すことができないのだった。
彼はそれを見越したように言った。
「フレンでどうだ」
「フレン?」
「ずっとお前のままでいいならいいけど?」
友達だからフレン。
茶髪の少女が「短絡的・・」とぼそりと呟いた。

じくじくとした背中の痛み。中から何かが生まれるようなむずむずとした感覚。
うつ伏せに寝転んだ僕の、その熱を持った肩甲骨のあたりに彼は冷たい保冷剤のようなものをあててくれた。
「少しの辛抱だから我慢しろよ?」
「ユーリ・・・・」
「なんだ?」
「呼んでみただけだよ」
「・・・余裕だな」
そうでもない。
ユーリと名乗った彼は口は悪いが甲斐甲斐しく僕の世話を焼いてくれた。この痛みは彼らと同じように羽が生える前兆らしい。にわかには信じ難かったが身体に起こっている変化は本物なのだから信じるしかない。すぐに分かるとはこういうことだったのか。
「生える瞬間は物凄く痛いけど舌だけは噛むなよ」
「君がなだめてくれるなら平気かな」
「お前な・・」
こつんと軽く頭を叩かれた。嘘はついていない。ただの軽口だと思われているだろうけれど本気だった。
僕は何故かこのユーリと名乗った同年代の彼が気になって仕方ない。
一目惚れだとかそういうものよりもっとずっと深いところから湧いてくる感情のような気がするのだけれど、その正体は分からない。
彼とは昨日初めて会ったはずだ。それなのにまったくそんな気がしないのも不思議だった。
「ユーリ」
「はいはい・・」
教えてもらった名前を呼ぶ度彼は困ったように笑って、でもしっかりと返事をしてくれた。
それだけで何故か僕は身体の痛みも思い出せない記憶もどうでもいいくらい満たされた気分になる。


「噛め!」
差し出されたものに反射的に噛み付く。
それが彼の腕だと気にする余裕はなかった。
体が二つに引き裂かれるような激痛。全身が痙攣し爪がシーツに食い込む。
喉の奥から声にならない呻きが漏れた。
彼の声が遠くに聞こえる。
熱く脈打つ血管。
確かに身体の中に対の翼があるのを感じた。それが皮膚を突き破ろうとしている。
背中が大きく反り返り、僕は獣のような咆哮をあげた。

その瞬間感じたのは激痛と、内側に押し込めていたものを爆発させるような開放感。
血に濡れた羽が背中に広がった。

息を切らし、おつかれさんと髪を撫でる彼の胸元に抱きついた。
「安心しろ。黒でも白でもない綺麗な灰色だよ」


オレ達は灰羽っていうんだ
オレ達が何者でどこから来るのかは誰にも分からない
お前が言うように、どこかに今までお前が暮らしてた町があるのかもしれない
でもこの世界の誰もお前のことを覚えていやしない
ここはそういう所だ
ここで暮らして、もしある日“すべてよし”って気分になったら
灰羽はこの町を囲んでる城壁から外に巣立っていく
それまではまぁ、のんびりしていけよ
そう悪くない所だぜ

ユーリはバケツに入った水とブラシで丁寧に僕の羽を洗い整えてくれた。背中はまだじくじくと痛む。羽にはしっかり感覚があるようでブラッシングしてもらうのは気持ちよかった。
「綺麗で立派な羽だな。すげー似合うよ。本物の天使みたいだ」
「そ、そうかな」
まだ羽が自分の身体の一部になったという感覚が薄く違和感がひどいけれど、ユーリが素直に感嘆し褒めてくれるのに悪い気はしなかった。
そういえば、と僕は慌てて振り返った。
痛みに我を忘れて思い切り噛み付いてしまったことを思い出したのだ。
「腕は大丈夫かい?」
「平気。服の上からだったしな」
彼の腕は黒い衣服に覆われ見ることができない。本当に大丈夫なのかと袖をまくろうとすると頭を叩かれてしまった。結構痛い。ユーリはすぐに人の頭を叩く。子ども達を叩いているところは見たことがないから僕に対してだけなのかもしれないけれど。
「大丈夫だっての」
「なら見せてくれてもいいじゃないか」
「しつこい奴は嫌いだ」
嫌い、という一言がズーンと胸に突き刺さる。
嫌い、嫌い・・・
「ごめん・・・・」
うなだれ謝ると「その表情やめろ。折角の男前が台無しだぞ」と更に怒られた。そんなこと言われても自分では分からない。

コンコン、と軽いノック
ユーリが返事をするのと同時に茶髪の少女と小さなリーゼント頭の少年が部屋に入ってきた。少女はリタで少年は確かカロルだ。
リタは右手のトングで丸い輪っかを掴んでおり、その輪からは湯気のようなものが立ち上っていた。その輪っかはどう見てもユーリや彼女達の頭の上に浮かんでいるそれだ。
「持ってきたわよ」
「ご苦労さん」
リタが平然とした表情をしているのに対しカロルはあからさまに緊張した様子でちらりと僕を見ては目をそらした。それを見てユーリが笑う。
「こいつはとって食ったりしねえって」
ユーリの話では僕のようにほとんど成人に近いような灰羽が生まれてくるのは稀なことらしい。確かにユーリ以外の灰羽達はほとんどが十代かそれ以下の若い少年少女のようだった。怖がられても仕方ないのかもしれない。
「フレン、ちょいと頭を下の方に傾けてくれ」
「こうかい?」
「そう、そのまま」
指示されるまま背を丸め頭を前に傾ける。
一瞬くらりと眩暈がした。ぐにゃりと歪む視界。
しかしそれは数秒で元に戻った。もういいと言われたのでそのまま頭をあげる。
淡く光る輪が頭の上に浮かんでいた。
「おお、一発・・・・」
そこまで言ってユーリはぷ、と唐突に吹き出した。
くくくと肩を震わせ笑う彼に「一体何がおかしいんだい」と聞くと代わりにリタが手鏡を貸してくれた。
「・・・・・・・」
見ると頭上に浮かぶ輪に引き寄せられるように髪の毛がふわふわと逆立っていた。
「フレン、お前静電気体質?」
「さぁ・・・そんなに笑うことないじゃないか!」
ユーリは笑いをこらえながらごめんごめんと謝り僕の髪に触れる。しかしそれでも戻らなかったらしくまた吹き出した。
「まだ乗せたばっかりだからだと思うわよ。そのうちおさまるでしょ」
「だってさ。残念」
「何が残念なんだよ」
憮然として自分の髪を撫で付ける。なんとなく頭が重いような気がするけれどこれも慣れれば気にならなくなるのだろうか。
ユーリはそんな僕の様子を見てひとつ咳払いすると姿勢を正し向き直った。つられて僕も姿勢を正す。
「何はともあれこれでお前も灰羽だ。よろしくな、フレン」
差し出された手をぎゅっと握り返した。
白い手。こんなことが前にもあった気がする。
不意に不思議な愛しさがこみあげてきて両手を広げハグしようとすると調子に乗るなと殴られた。
 

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