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第6世界 2205年 

【本丸】


 

白い指先に赤いエナメルが光る。

自分だけでもだいぶ上手く塗れるようになった。

光にかざして仕上がりに頷きつつ、少年は次はもっと濃い赤がいいかななどと考える。

鏡に映る瞳は紅色をしていた。そう、色味もこれくらい・・・。

少年の表情は真剣そのものだ。おしゃれは遊びではない。

線が細い、華奢な少年だ。瞳は切れ長でやや鋭い印象を受ける。

柔らかそうな猫っ毛の前髪をピンで止め、胡坐をかいて爪紅を塗る姿は第7世界の人間でいうところの女子高生のようだった。


 

無粋にふすまが開く。

「清光・・・ま~だここにいたのか」

そろそろ来るかなと思っていた予測のとおり。加州清光は口をへの字に曲げた。

むっと声の主を見上げる。あきれたような水色の目。

清光と同じくらいの年ごろの容姿をした少年である。

「そろそろ内番の準備しなよ」

「いま手使うとよれちゃうかもしれないから待ってよ」

清光は赤く塗った爪先をほら、と見せる。

「また塗りなおしたの?どうせ戦に出たらぼろぼろになるのに」

「どーせ安定にはわからないよ」

ふん、と鼻を鳴らす清光。おしゃれにかける時間を理解のない身内に妨害されると機嫌が悪くなるのも、年頃の少女と同じだった。

安定は特に表情を変えることもなく、わずかに首を傾げる。

後ろで結った長い髪が揺れた。

「別にわからなくても困らないし」

「はぁ、マジおまえありえない」

「どうせわからないって今さっき自分で言っただろ~」

優しげな目とふっくらした頬。安定は清光とは対照的な雰囲気の少年である。

話し方や呼吸、姿かたちまで、どこか自分たちの主だった人を思わせる。

それがまた複雑な思いを人としての姿形、そして感情をを与えられたばかりの小さな胸に抱かせた。


 

再会したのは、久しぶりのことだった。

刀としての自分たちは本来当の昔に役目を終えている。はずだ。

あの時代、あの時に。刀が人を斬る道具として存在した最後の時代に。

天才剣士とうたわれたあの人の手で斬って斬って、時代とともに生きて、散った。

刀として生まれ刀として生を終えたのだ。

 

ここは奇妙な屋敷だ。古今東西の刀が、人の姿を与えられ一人の人間を主として仕えている。

1000年近くも前に生まれ何代も主を変えて渡り歩いてきたという刀もいるが、清光も安定も美術品ではなく

人を斬るために生まれすでに存在しない刀だった。

観賞用として綺麗に飾られる存在ではなかった。それに何の不満もありはしない。

あの人は自分たちを刀として愛してくれたから。


 

「主にさ、また違う色の爪紅をお願いしようと思ってるんだ」

赤と青の揃いの内番服に身を包み清光と安定は長い廊下を歩く。

その姿はまるで兄弟のようだった。

「また君はそんなのばっかり」

安定は相棒・・・不本意ながら・・・を見てため息を吐く。

ここで人の姿を与えられた清光は、身なりを整えることにこだわっていた。

「せっかく人の姿をもらったんだから楽しみたいじゃん。・・・かわいい方がきっと、主も喜ぶし」

爪を見ながら清光は言う。

人の姿を与えられた刀達には、定期的に欲しいものを書き出すよう主から紙が配られる。

もちろん一人当たりお願いできるものは限られているのだが。

手鏡も、爪紅も、そうしてもらったものだった。

 

全部全部、愛される自信のなさの裏返し。

爪を赤くするのはよくわからないが、安定は清光のその気持ちだけはよく理解していた。

同じように、扱いにくい刀だったから。


 

清光は髪を整えながら言う。

「ここに“呼ばれた”時に、お願いしたんだ。主に愛されたいって。そしたら自分で努力しろってさ」

なんだか方向が間違っている気もしたが、それは無視して安定は自分はどうだっただろうと思う。

いまいち、思い出せないのだ。どうしてこの姿でここにいるのか。

 

青い人は何と言ったんだっけ。




 


 

愛された記憶がある。


 

歴史とともに生き、歴史とともに散った。そんな人だった。

切れ味がいいと、よく褒めてくれた。

 

血と肉。骨を断つ感触。怒号。悲鳴。

混沌の中でも華麗に冷徹に的確に、天才剣士は敵を仕留める。

歯がこぼれる。脂で切れ味が鈍る。帽子が折れる。それでも目の輝きは、断固とした意志は鈍らない。

刀としての清光は、あそこで・・・

(ありがとう)

あんなに強いのに、病弱だったあの人の青白い顔。

戦の前とは違う、慈しむような指の感触。

修理に出されたのは、愛されていたから。それがさよならだった。

清光はあの人の最期を知らない。清光の物語はそこでおしまいだ。

 

神になんて、なった覚えはなかった。





 

 

〈無名世界観用語解説〉


 

シオネ・アラダ

 

剣と運命の女神。

光の姫君、万物の調停者ともいわれる無名世界観のヒロイン的存在。

神族と人の仲介をする巫女であり、7色のオーマ間の調停をし、争いをおさめる者。

人名ではなく役職名。通常は女性。

先代は力を恐れた人間の手で殺された。


 

剣舞オーマ(青のオーマ)

 

「過去と栄光」をつかさどるオーマ。突き立てた剣を象徴とする。

別名ガンプ。

かつて7色のオーマの中で最強とうたわれたが、1000年前の戦いで盟主が闇落ちしたため滅んだ。

盟主を代々青の青という。

現在復興中。



 





 

シオネ、シオネ。

偉大なる魔法の女王。7つの世界に咲いた一輪の青い薔薇。

万物の調停者にして、神々の巫女。

醜い鬼を愛してくれた俺の姫様。


 

俺がもっと美しければ、もっと上手く話せれば、もっと勇気があれば・・・

あなたに悲しい顔なんてさせなかったのに。

あなたの手を握り返せたのに。

あなたを、死なせやしなかったのに。






 

20××年 第6世界群



 

「なあ、もう治ってるか?」


 

顔の、傷のあったあたりを指差しながら瀬戸口隆之は主に尋ねた。

 

赤みがかった茶髪にすみれ色の垂れ目。すらりと高い背丈。

瀬戸口は、自分が美男子であることに、美しくあることにこだわりがある。

いや、執着と言った方がいいかもしれない。

1000年前、先代シオネ・アラダに仕えていたころ彼はそれはそれは醜い鬼の姿をしていた。

だから、次に彼女と再会する時は美しい姿でいようと決めていたのだ。

「はいはい。大丈夫。隆之はかっこいいよ」

尋ねられた青い髪の青年は相変わらず“こんのすけ”の人形を縫いながら言う。

旦那へのプレゼント用だった。

「心がこもってない」

「僕が言ってるのに何が不満?」

青の厚志は頬杖をついて自分の騎士を見た。

何にも例え難い人工的な青い髪と青い瞳。

第5世界の生命工学の粋を集め遺伝子レベルで設計された身体は美しく、中性的な魅力をたたえているが

なによりもまずその鮮やか過ぎる青が見るものの目に焼きつく。

彼こそ青、剣舞オーマの新たな盟主であり1000年ぶりに選ばれたシオネ・アラダであり

・・・一応、ポジション的に今代の巫女でありお姫様であるわけだが。

巫女というより戦闘用機械であり、姫というよりは魔王だった。

おっとりとした声で青は言う。

「君は見た目にこだわるよねえ。美しくないと、愛されるか不安?」

「大事な人につりあう姿でいたいだろ」

先代シオネはそんなこと気にはしなかったのだが。鬼のコンプレックスはこじれていて根深い。

異形の手を細く白い手で握ってもらうのが精一杯の関係だった。自分がもっと美しければ握り返すこともできたのだろうか。

1000年経ってもまだそんなことを思っている。

そんな瀬戸口を見て青は目を細める。

かつて多量の女性ホルモンを投与され雄か雌かもわからない身体をしていた青からしてみれば男に見えるだけでもいいじゃないのというところだが。こういう議論が不毛なことも知っていた。

かつては黒く染めていた青い髪を指先でいじりながら青はぽつりと言う。

「大好きな人がそれで良いっていってくれるなら、俺はそれだけで一生、生きていけるけど」

のろけである。

7つの世界をことごとく救うのろけだ。青を魔王ではなく、救世主たらしめているその言葉。

瀬戸口はため息をついて肩を竦めた。

「よし、じゃあ厚志、俺のこともう一回かっこいいって言ってくれ。心をこめて・・・」

「あ、ところでさ」

容赦なく話をぶった切って青が口を開く。

瀬戸口の手が虚しく宙をかいた。

「【本丸】の話。刀がさ、マニキュアとかアイシャドウとか、結構リクエストするらしくて」

「ほう」

「裕を思い出すよね」

にっこりと、女神のように・・・いや、ポジションだけなら確かに女神だが・・・笑う青。

他意はない。皮肉でもなんでもなく、完全に天然の発言である。

青の中で、マニキュアと化粧といえばかつて友人だった岩田裕だった。

瀬戸口は「あ~・・・」と人差し指で額を押さえた。

「・・・あのな、大将」

「岩田くんももよくアイシャドウで気合がとか言っててさ」

「違う。ジャンルが違う。一緒にしたら第7世界の審神者のお嬢さん方から怒られるぞ」

昔を思い出したのかくすくすと笑う青。

こうなったらもうこっちの話は聞かない。






 



 

第6世界 2205年 

【本丸】

 

少年は薄目を開けた。焦点の定まらない赤い瞳。

ぼんやりと、視界に誰かがうつる。知った顔だった。

一度も名前を呼んだことはなかった。清光は刀だった。声は持たない。

だが今は、

「沖田くん・・・」

呼ばれた側は青い目を見開いて、少し間をおいてから首を横に振った。

「しっかりしてよ。清光」

瞬きを3回。

雨の降り出しそうな曇り空と、見下ろす相棒の顔。

腕や足や肋骨も痛んだが、何より頬がぴりぴり傷むのに整えた眉を寄せる。

「う~・・・顔、顔に傷ついてるでしょこれ、マジかよやだなあ・・・・」

「手入れしたら治るよ。さっさと帰ろう」

清光はふらふらと立ち上がると自分の姿を確認した。服は裂け、髪は乱れ、刀身には刃こぼれ。

「・・・こんなにボロボロじゃあ、愛されっこないよな・・・」

できたら主には見せずにすぐに手入れ部屋にこもりたい。

清光の表情を見て安定は目を細めた。

「そんな顔してると余計ひどく見えるよ」

「うるさい。戻るまでにそっちはどうにかするし」

笑顔の方がかわいいなんて知ってる。

人の姿を手に入れてから、表情だって鏡の前で練習しているのだ。



 

こういう時の清光はほうっておけば勝手に立ち直る。こいつはこんなでも結構タフだ。

知っている安定は清光に半歩遅れて歩きつつ別のことを考えはじめた。

清光に呼ばれたことで、ぼんやりとだが思い出したのだ。

どうしてこの姿でここにいるのか。

 

人の寿命など、命などただの刀である自分にはどうにもならない。過ぎさったことを変えることもできやしない。

だけど・・・自分はあのひとにもう一度会いたかった。

刀にとっての沖田総司とは、すなわち・・・

「ねえ清光・・・僕、沖田くんに似てるかな」

清光はちらりと安定の方を見て、ふんと鼻を鳴らした。

新撰組の羽織も、姿かたちも、執着の証。・・・剣の振り方だって。

「まだまだぜんっぜんダメ。戦う時のあの人はもっと、修羅みたいだった」

「そうだよね」

「なんで嬉しそうなの」

へんな奴。




 



 

愛してくれた誰かはもういない。

どこにもいない。

 

それでも本当に、心の底から会いたい誰かと再会するために

踊るように舞うように、

戦うしかない生き方がある。





 


 

OVERS・OVERS・OVERS・OVERS・OVERS

OVERS・OVERS・OVERS・OVERS・ OVERS

OVERS・OVERS・OVERS



 

私にはまだ名前がない。

 

私はまだ生まれていない。

 

私はなぜここにいるか分からない。

 

だから、でも、しかし。 私は思う。 私に心がある意味を。



 





 

暗い、何もないように見える空間をそれは漂っていた。

それは刀だったが、姿を失ってから随分と時が流れていた。


 

「沖田くん・・・」

 

刀であるものは呟いた。

刀に声なんて、あるはずがない。

だからあの人と一緒にあった時、あの人と言葉をかわしたことはない。

それでもあの人は扱いにくいといわれた刀のすべてを理解して、もっとも有効に、その刃を使った。

人はあの人を天才と呼んだ。

ひとの病など、寿命など、生命など、はかなくてどうにもなりはしない。

あの人の手からはなれた刀は、ただの鉄屑だった。

時代とともに生きて時代の中で消えた。そういう刀だ。

 

「病弱なのに、死に急ぐような生き方をする人だった」

青い光が舞う。

世界によってリューン・・・精霊とも、情報とも呼ばれる世界の意識子が刀の思う人の姿を模倣する。

もちろん正確ではない。そこまでの力はない。

 

凛と、澄んだ剣鈴の音が響く。

夜明けに音があるならこんな音だろうと刀は思った。

青い服を着た青髪の、青い目をした人が刀の前に立つ。

その人がもう一度剣鈴を振るとリューンが煌いて収束した。

水色の羽織は、忘れがたい象徴。

「清光は、いるの?あいつ、寂しがりで面倒で扱いにくいやつだから」

「いるよ。君を待ってる」

「僕のことなんて待ってるもんか」

青い人は何がおかしいのかくすくすと笑う。

それから優しい声で言った。

「会いたい誰かに会うために、ただひたすら待った友達も、その人みたいになろうとした友達も、知ってるよ」

それは永遠に来ないかも知れない明日を信じ続けた話。

片方は今は青の傍に、片方は、その夢のとおり未来を護って消えた。

水色の羽織がはためく。刀は目を開いた。青い色をしていた。

「僕は政府も幕府も正義も大儀も知らない」

刀は昔のことを想って、それから、唐突に現れた明日のことを、なりたいもののことを想った。

「でも・・・叶うなら」

刀は、構成されたばかりの自分の手を、足を見た。人の姿。

 

「あの人の分も生きたかったなんて、身の程知らずだよね」

 

思えば思うほど、世迷いごとだ。





 

それは主を護る刀の物語。

人が目を開くときに現れて、人が目を閉じる時に姿を消す幻。






 




 

愛して欲しい。ただそれだけだった。

それだけのために1000年もさまよい続けた。

長い時の間に、鬼の中の姫は美化と理想化が進み果て、既に概念と化していた。

鬼が愛しているのは既に存在しない女だった。

そのはずだった。


 

第5世界 1999年


 

「厚志・・・」

 

大きな青い青い瞳。1000年間、飢えて焦がれてやまなかったその色。

「だめだよ」

14歳の少年にしても高い声が静かに言う。

異形の手で首筋を撫でられ、長い爪で傷ついた白い肌から血が流れるのを気にもせず。

顔を近づけると少年にそぐわない雌のにおいがした。

怯えた様子はない。絶望も希望もどこかに置き忘れたような目をしていた。

そんなところまで、彼女にそっくりだ。瀬戸口を名乗る鬼は嬉しくて笑った。

普段の優男の笑みではない。

爛々と輝くすみれ色の瞳は隠しようもなく、人外のものだった。いつもよりも赤く見える。

幻獣化した腕は禍々しく醜い。

 

瀬戸口を名乗る鬼は、速水厚志の中に彼女との共通点を探すのを心の支えとしていた。

かつて姫に救われ人を護って戦ったよきゆめは、今は人に使役されいいように操られるだけの落ちぶれた鬼に戻っていた。

呪いのような“また会いましょう”という、言葉のために。ただひとりの愛を求めて彷徨った。

今なら美しい容姿も、よくまわる口もある。力だって。だから・・・

「君が欲しいのは、こんなものなの」

速水は言う。異形の片手で掴まれたその髪の生え際は、妙に青かった。

速水の言葉に瀬戸口は泣いているような笑っているような顔になる。

口から出たのは泣き言だった。

「もう、愛を探すのは疲れた。もう寂しいのも苦しいのも十分だ。もう、あんたを自分のものにして終わらせたい」

この際器が男だろうと気にしない。待つのはもう嫌だ。この身体を喰らい尽くして楽になりたい。

だってあんたはあの人にそっくりだ。

細い身体も、青い瞳も、大嘘つきなところも。

少年はそんな鬼を見て困ったように眉を下げ、いつもと同じように笑う。

「しっかりしなよ。瀬戸口くん。ラブハンターでしょ」

 

女神はいつでも優しくて残酷だ。

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