top of page

だから・・・また会いましょう。


 

お姫様は、鬼が死ねないように微笑みました。

それは残酷な残酷な呪いでした。

 

 

長さのまちまちな赤茶色の髪。

人工筋肉と血と雨の匂いのする石のような肉体を質素な部屋に横たえて、男は天井を見上げる。

鈍く悲鳴を上げる腕。足。内臓。

縦に割れた瞳孔がぼんやりと宙を彷徨った。

それはもう神ではなかった。だからといって、あしきゆめでもない。まして人ではない。

それはただ糸につられて踊る愚かな人形だった。

男は血の滲む右手をゆっくりと真上に伸ばす。

思い出すのは永劫の星空。優しいということしか思い出せないあのひとの声。あのひとの青い瞳。

ぼんやりとした輪郭を思い描くように手を動かした。触れることなど、ほとんどなかった。

だから今度・・・今度、また、会えたなら。

 

(瀬戸口くん)

 

不意に、脳内ではっきりと、声がした。高くて甘くて優しい声。

すみれ色の目が細まる。もう一度、声が聞こえた。

大きな青い瞳に線の細い顔立ち。華奢な身体。

そして何よりあの・・・

 

人を、騙すことに慣れた、残酷で嘘つきな

 

ざわざわと魂が騒ぐ。脳裏に浮かぶ姿が霞がかった少女から、昨日も会った少年に変わる。

ひゅっと音を立てて息を吸い込んだ。傷口が、またたくまに塞がっていく。

いる、のだ。〈それは〉は帰ってきた。肉体を持って、呼吸をして、現世に存在する。

身体の痛みは消えていた。代わりに強烈な飢えを感じた。

「速水・・・速水、速水、厚志・・・」

呻くような呟きが冷たい空気に溶ける。

会える。そうだ。今日も、会える。明日も。


 

ああ、気が狂いそうだ。



 



 

時計が鳴る。

 

機械のようにすっくと無駄の無い動きで起き上がった男はばさばさと服を脱ぎ熱いシャワーを浴びた。

虚弱体質のオペレーターを名乗るには鍛え上げられ過ぎた肉体が水を弾く。

濡れた赤みがかった茶髪をかきあげて、鏡に映る端整な顔を見た。望みどおりの美しい容姿。

瞳のすみれ色だけは、1000年前と同じだった。

 

男は下着だけ履いて髪の水気をとりながら畳の中央で胡坐をかく。それから神妙な顔で顎に手をやった。

パンツ一丁なのに無駄に格好いい。

地区の地図を広げ、速水と自然に合流するにはどこがいいだろうと思った。女子高の生徒や豊富な人脈から

情報は色々と収集していた。速水は軍の指定している古いアパートで一人暮らしをしている。

ひとりで登校しているようだから、少し早めに出て待っていればほぼ確実に会うことができるが。

ストーカーまがいだとか突っ込まれようが瀬戸口は気にしない。彼は真剣だった。

二人きりで、もっと速水と話す必要があると思った。向こうが覚えていないのなら、尚更。

 

(そこまでだ)

 

不意にあの夜の少年の声を思い出して、男は両手で頭を抱えはぁ...と大きく息を吐いた。

胸が騒いで頭が妙なプログラムでも使ったように高揚感で満たされる。

それは神話の再現だった。

神々を率いて戦う、青い瞳の女神。

俺の・・・

 

シャツを着て、しゅっとネクタイを締め、気合を入れる。髪を整え鏡にウインクし、軽く香水をつけた。

優男の色男の完成である。

 

天気は曇り。風は穏やか。瀬戸口隆之は軽やかにアパートの窓から華麗に飛び降りた。




 

 

白い壁。白いドア。白いチューブに、白い服。

消毒液と得体の知れない薬品のにおい。

青い髪の少年は身体を洗浄され、呆けた顔で座り込んでいた。

その表情には意思の欠片もないように見えた。

部屋に入ってきた男が、少年の手を引っ張る。少年は抵抗もせずに従った。

冷たい廊下を裸足で歩く。

沢山の研究室と、奇怪な生物の悲鳴。少年の目は注意深く、その構造を把握しようと見つめている。

 

連れてこられた部屋もやはり白い。手首を台に繋がれて、白い天井を見上げる。

少年の手首の多目的結晶に、男は何かプログラムを入れた。

急に上昇する心拍数と、白濁する意識。がくがくと身体が震え、少年の喉から悲鳴があがる。

青い瞳から壊れたように涙があふれる。

男の手が少年のむき出しの乳房を掴んだ。はねる身体。

雄にしては異常に膨らんだ胸は投薬実験の副作用だった。

少年は媚びるような目でゆるしてくださいと言った。

汚いいきものだと、男は嗤う。

 

はい、そうです。ぼくはきたないいきものです。


 



 


 

昨晩降っていた雨は止んでいる。

少年は青い瞳で空を見ると、ぐっと伸びをした。それから玄関まで見送りにきた母猫に「行ってくるね」と微笑む。

曇り空。それでも速水には眩しい。忌々しくは、ない。

 

朝っていうのはいいものだ。

 

晴れていようと曇りだろうと雨だろうと。朝を知った少年は思う。

あそこには朝も夜もなかったけれど、今は暗い夜でもかならず朝が来る。皆に会える。

少年は大きく息を吸い込み“速水厚志”の顔になった。

柔らかな髪が風に揺れる。それは普通の黒髪にしては黒すぎて、青く見えた。

“速水厚志”が住むことになっていた軍指定のアパートは元は会社寮らしく、住人たちは当に本土へ避難しほとんど無人だった。

埋まっている部屋もあるが、速水にとってはありがたいことに他の住人と顔を合わせたことはない。

人通りも、戦争前に比べれば随分減り閉まった店も多いのだが速水は幻獣上陸前の街の風景など知らない。

いつも自分と同じ学兵風の人間の姿がちらほら見えるだけだ。

 

夜、食パンを買いに行く時は真ん中を突っ切る公園の前を通りかかった時、速水は不意に背後に気配を感じた。

急な上、殺気もないため反応が遅れた。

「え・・・?わわっ!」

振り向く前に覆いかぶさるように抱きしめられる。肩にかかる重み。

耳元で囁く声がした。

「おはよう・・・バンビ。昨日ぶりだな。ぐっすり眠れたかい」

艶っぽい低音。華奢な背中を抱きしめながら瀬戸口隆之は微笑んだ。

周囲の視線がこちらに向くのを感じる。

瀬戸口の香水がふわりと香る。わざと耳に息を吹きかけられ速水は顔に熱が集まるのを感じた。

ぎこちない声で一応挨拶をする。

「・・・おはよう・・・なんで抱きつくの」

「今日も俺のバンビはかわいいなあって」

「はなして」

言葉を無視してそのままぎゅーっと抱きしめられる。

速水は瀬戸口の腕から逃れようとじたばたもがいた。その手が胸元に触れかけて、慌てて身をよじる。

「ちょっと、はなせってば!」

長い腕は服の上から見るよりずっと筋肉質で鍛えられている。身体の厚みも、抱きしめられるとよくわかる。

そもそも気配の消し方が普通の人間ではない。専門訓練でも受けているに違いない。

「腕の中にすっぽりおさまるサイズってのはいいもんだな」

瀬戸口は笑ってもう一度ぎゅっと抱きしめた後、少し名残惜しそうに速水を解放した。

速水はネクタイを直しながらむすっとした表情で瀬戸口を見上げる。

整った顔に優しげなすみれ色のたれ目。芝村の手先らしいがあの夜以来、速水との約束どおり舞に危害を加えるような様子はない。

代わりにこうして、何故か速水を抱きしめる。

 

仕方なく並んで歩きながら速水は首をかしげた。どこに住んでるのかは知らないけれど。

こちら方面に帰るのを見たことはない。

「瀬戸口くんって、校舎に行くのにここ通るの?」

「ん?ああ。そういう日もある」

身長差のせいで自然、上目遣いになる視線が表情を伺うようにちらと瀬戸口を見て、伏せられる。

探るような青い瞳。長い睫がゆれる。

たよりない肩。片手でへし折れそうな首筋に思わず瀬戸口の手が伸びかけた。

「・・・女の人、とか?」

速水の言葉にぴたりと手を止め、瀬戸口は眉を上げる。

「何だい、嫉妬?」

「ちがうよ」

「かわいいなあ」

瀬戸口の大きな手が頭をわしゃわしゃと撫でた。速水は思わず頬を赤らめる。

この男は利用するために自分を懐柔しようとしているのだろうか。

自分がそうして生き延びてきたように。

そう思うと、妙に寂しいのは、きっと気のせいだった。

 

瀬戸口の手が速水の肩を抱いた。拒否するのが面倒なだけと自分を偽って速水はそのままにさせる。

線の細い少女のような横顔。腕の中にある肉体。

瀬戸口はすみれ色の目を細めた。このままどこかに連れ去ってしまえたらいいのになんてできもしないことを考える。

小さな耳も、この首筋も、やわらかい手も、食べたらどんな味がするんだろう。

瀬戸口はおもむろに速水の耳元に顔を寄せた。ぺろりと舐めてみる。

ぬるりとした感触に速水は目を見開いた。

「ひゃっ!?・・・ちょ、な、何するのさ!」

びくっと速水の身体が弾む。飛びのこうとするのを抱きしめて捕まえた。

速水の指先が宙をかく。

「すまん。つい・・・。騒ぐと目立つぞ」

「誰のせいで!」

怒った顔もかわいいなと瀬戸口は冷静に思った。

気にする前から通学途中の女子高生徒の視線は釘付けである。

瀬戸口と目が合った少女はウインクされてそそくさと目を逸らした。

速水な舐められた耳を押さえながら真っ赤になった顔を隠すようにうつむく。

「・・・なんでこういうことするの」

「好きだから。他に理由がいる?」

「たわけ、だよ」

舞の言葉を真似て速水は言った。

下がり気味の眉が更にハの字になる。好き。生きるために、ずっとつき続けてきた嘘。

でもこの男にその嘘をつかれるのは・・・・・・。ぎゅっと胸元を押さえた。俺は馬鹿だ。

「・・・そういう風にからかわれるのは好きじゃない」

素の声と表情で言って速水はそっぽを向いた。


 

 

好意を向けられるのも抱きしめられるのも、頭を撫でられるのも慣れていない。

少年の周囲にいた大人は誰も彼も実験動物扱いか、好色な目を向けてくるばかりで。そうしてくれる人など誰もいなかった。

だからって。

勘違いするのはあまりに愚かじゃないか。

授業中。ふと、視線が合った。

飛んでくるウインクを流して、やっぱり馬鹿だなと思った。




 


 

「なあ、デートしないか」

 

長い腕で進路を塞がれ、速水は男を見上げた。

にっこりと近づいてきた端整な顔が笑う。

「今度の日曜」

速水は頬をかいて首をかしげた。

「なんで突然」

「連れないなあ、あっちゃん。・・・おまえさん、普通の学生生活に疎いだろ」

瀬戸口は声のトーンを下げて、ぽややんを演じている中身の方に言った。

速水のあどけない表情が一転、剣呑なものになる。声を上げて否定した。

「そんなことないよ」

嘘だった。速水は、学生生活どころかごく普通の常識というものに疎い。

小隊での生活以外はほとんど無知といっていい。

瀬戸口は速水の小さな顎に触れる。

「俺の目はごまかせないぜ、小鹿ちゃん。見てりゃわかるさ」

瀬戸口は、速水が普通の学兵ではないというのは知っている。この男の人間観察眼は非常に鋭い。

どこから来たのかは知らないが速水がいわゆる普通の日常に慣れていないのは注意深く見ていればわかることだった。

その演技は確かに見事なものなのだが。ところどころ爪が甘い。

速水はむっと口を曲げる。この男はやっぱり油断ならない。

「その、小鹿ちゃんってやめてくれる」

「バンビって我ながらぴったりだと思うんだがなあ」

華奢な身体とかふわふわした髪とか大きな瞳とか縁取る長い睫とか。

猫も兎もいいが我ながら上手い例えだ。小さな唇を見るとこの場で奪ってしまいたくなる。

近づいてきた瀬戸口の顔を速水は手でくいぐいと押し戻した。

雄のにおいに、遺伝子から設計された雌の部分がざわりと騒ぐ。それを押し込めて速水は瀬戸口を睨んだ。

「近いよ」

「“普通”の健全な青少年の暮らし方やら一般常識やら、お兄さんが色々教えてあげる」

「そんなの、困ってないし」

「本当に?」

「う・・・」

見透かすようなすみれの瞳に速水は眉を下げる。

・・・本当は、戦い方以外のことはあまりに無知で。休みの日なんてどう過ごせばいいのかわからないし。

知りたいことは、沢山あるけれど・・・。

困った様子の速水を見ながら、普通の女性相手だったらこんな強引な迫り方は絶対にしないなと瀬戸口は思った。

冗談めかして言う。

「芝村のお嬢さんをデートに誘う時とか、困るだろ?」

「っ、舞に抱いてるのはそんな汚い感情じゃない」

速水は反射的に答えてから、しまったと思い口に手をあてうつむいた。

柔らかな髪をゆっくりなでる瀬戸口の瞳孔が縦に窄まる。

「かわいいな」


 


 

彼女に抱いていたのはそんな感情ではなかった。

鎖で繋がれ、目を潰され、それでも絶望の天敵であった、健気で嘘つきな俺の女神。

彼女は鬼にとって、優しく美しい神のようで母のようでもある存在だった。

ああ、だが、どうして、なぜだろう。

 

瀬戸口は想像の中で、華奢な少年の身体を押し倒す。

折れそうな白い首に噛み付いて。

どんな風に鳴くのだろう。

どんな声でよがるんだろうか。

「速水・・・」

 

飢えて乾いて辛いんだ。




 


 

店の入り口に、小柄な少年が立っている。

フードのついた赤いパーカーは華奢な身体にはやや大きいようでだぼだぼだ。

繊細そうな顔立ちは少女じみていて、多目的結晶で時間を確認する仕草は小動物のようだった。

近づいてきた気配に顔をあげ、僅かに青い目を見開く。

「あ、瀬戸口くん」

速水は少女のような声で呼んだ。瀬戸口は「よう」と片手を挙げる。

「待ったか?」

速水は首を横に振った。

まるで普通のクラスメイト同士の待ち合わせのようだ。

私服の速水は制服を着ているときよりも余計に幼く見える。実際まだ14歳なわけだが。

赤いパーカーは顔立ちと相まって、童話の赤ずきんみたいだ。

口に出したら怒られそうだが。

「瀬戸口くん、制服じゃないとイメージ変わるね」

速水は上目遣いに瀬戸口を見て言った。

「俺も同じこと思ってた。制服の俺とどっちがいい?」

「・・・君はどうせ、何でも似合うでしょ」

高い背もバランスの取れた男らしい身体つきも速水には羨ましい。

瀬戸口はすみれ色のたれ目を嬉しそうに細めた。

「どっちもかっこいいってこと?」

「そういうの、自分で言うの君くらいだよ」

それでも許されてしまうようなところが、この男の強みなのだろうが。

瀬戸口は速水に抱きついた。

あわてたような少年の声が新市街に響く。


 


 

「ねえ、あそこは何をするところなの?」

「ああ、あれはサッカー場。戦争が始まってからは軍の演習で使われてるけどな」

「へえ。じゃあ、あれは・・・」

 

少年の質問に答えながら、瀬戸口は街を歩く。

速水は本当に何も知らない。まるでつい最近地上にやってきたかのように。

「花岡山は知ってるか?神社があるんだが」

速水は首を横に振る。

「神社って、何をするところなの」

「神様に挨拶するところだな」

速水はぴんとこない様子。知識として知ってはいるが、行ったことはない。

「じゃあ、今度一緒に行こう。きっと喜ぶ」

「何が・・・?」

瀬戸口は速水の綺麗な青い瞳を見て、何も答えずに微笑んだ。

 


 

瀬戸口に教わりながら速水はバッドを握る。機械から飛んでくるボール。

2度すかして、3度目から音を立てて弾き返される。ランダムに球速を変え、変化球もはさまれる中確実にそれに対応していく。

突出した学習能力と反射神経のなせる業だった。

速水は構えたまま、口を開く。

「君が、何を考えてるかはわからないけど。僕のこと、探っても何にもならないよ」

「うん?」

「利用価値も、たぶんあんまりない」

カキーンといい音を立ててボールが弾かれる。

揺れる赤いパーカー。小さな後姿。

瀬戸口は速水の言葉の意図を考えて、ああそうかと笑った。

「芝村だとか取引だとか、そういう話か?」

瀬戸口はあの夜のことを思い出す。瀬戸口は速水を潜伏中の暗殺者か工作員だとあたりをつけ、脅した。

そして逆に脅され・・・ありもしないプロ意識を、ありもしない誇りと引き換えに売った。

「あれはな、もういいんだ。あんなことはもういい」

「じゃあ、どうして・・・」

君は僕にかまうの。

 

速水はバットを振った。勢い良くボールが飛んでいく。



 




 

「あ、ぐっちー!」

 

四人組の女子高生の一人が瀬戸口の姿を認めてぶんぶんと手を振る。

瀬戸口は人懐こくわらって手を振りかえした。

隣のかわいらしい少年が会釈すると彼女たちはきゃあと声をあげる。

「何、デート?」

「実はそうなんだ」

「違います」

速水の頭に手を乗せる瀬戸口と、きっぱりと否定する速水。

少女たちはくすくすと笑って近寄ってくる。

「ぐっちと同じ部隊の子?」

「人型戦車のエースパイロットだ」

「え~!見えない!」

「だろ?速水、尚敬高校の戦車兵のお嬢さん方だ」

瀬戸口がウインクする。速水はいつものように微笑んでいた。

「あ、えと。はじめまして。一応、瀬戸口の友達の速水です」

少女たちは思わず頬を赤くする。相手の心を掴む魔法の笑顔。

速水は人当たり良く彼女たちの質問に答え、時折瀬戸口に視線を送る。

「人型戦車って、操縦難しいんでしょ?」

「偶然遺伝適性が合っただけだよ」

「騙されるなよお嬢さん方。速水は戦場に出ると鬼だからな」

ほわほわにこにこと笑う姿からはまるで想像できないが。

彼女たちもどこまで瀬戸口の話を本気にしているかはわからない。

速水は余計なことばかり言う瀬戸口に軽く肘鉄して言った。

「同じ戦場に出ることがあったらよろしくね。戦争、生き残れるといいね。」

沢山の嘘にまじる本当の言葉。祈りの言葉。

瀬戸口は紫の流し目でそんな速水の様子を見て、昔を思い出していた。



 


 

空が紅色に染まる。日が沈む。これも、当然のこと。

速水は隣を歩く男に言った。

「その・・・今日はありがとう」

「ん。楽しかった?」

「うん」

「それは恐悦至極」

速水はなんだか照れくさくてうつむいた。一日中、誰かと過ごすなんて初めてで。

しかもそれが、楽しくて。それを認めるのは恥ずかしかった。

速水を名乗るものは自覚しているよりもずっと寂しがりな少年だった。

心の隅でここで瀬戸口と別れるのが寂しいなんて思う自分に戸惑う。

「じゃあ、僕はこれで・・・また、明日」

寂しいのを振り払うように言って、速水は逃げるようにその場を離れようとした。

だがその前に、瀬戸口の手が速水の腕を掴む。

逃がすつもりはなかった。

「バッティングセンターでの質問に、答えてなかったな」

速水は手を振り払うのをやめて、瀬戸口を見た。

皮肉げで、それでいて優しく悲しそうに瀬戸口は言う。

「なあ、お前さんは、俺がおまえを手懐けて利用するために近づいてるとか思ってるんだろ?だからかまってくるって」

考えていることそのままを言い当てられて速水は言葉に詰まった。

「・・違うの?」

それ以外に理由が見当たらない。

これすらも、警戒を解くための行動なのだろうか。

「好きだって言ってるだろ?」

「そういうの、やめてよ・・・ちょっ!」

瀬戸口は速水の身体がよろめくほど強く腕を引き寄せ、手首を露出させた。

白い手の多目的結晶の裂け目に自分のそれを無理矢理おしつける。口をあける柔らかな裂け目。

油断して反応の遅れた速水は慌ててやめさせようとしたが、その前に結晶同士が触れ合った。

「なっ・・・!?」

神経が痺れる鋭い感覚。青い瞳が大きく見開かれる。

次の瞬間、圧倒的な感情の波が強制的に流し込まれた。びくんと華奢な身体が大きく痙攣する。

「あっ・・・!あっ・・・、や・・・・・・!!」

脳が麻痺する。暴力的なまでに強い思い。欲望。

それは長い長い時をかけて蓄積されわだかまりこじれた愛だった。

中枢神経をハックされ、何も考えられない。

それが何か認識することすることすらできず、ただわけのわからない苦しさに勝手に涙がぼろぼろと溢れた。

「あ・・・はっ・・・・・う・・・・・」

切ない。寂しい。狂おしい想い。今までそんな感情を自覚するような生き方をしてこなかった速水には余計に刺激が強すぎた。

流し込まれたそれに心がついていかず、痛みとして胸に知覚される。切なくてぎゅっと胸元を押さえた。

瀬戸口はゆっくりと結晶を離し、力の入らない速水の身体を抱きこむように支えた。

青い瞳から流れる涙がとても綺麗だと思った。情事を思わせる喘ぎ声にぞくぞくする。

これでも教えたのはほんの、僅かだ。

「・・・な・・・んで」

こんなの、知らない。知らない。どうして。

速水は混乱したまま瀬戸口の顔を見上げた。瀬戸口はこぼれた速水の涙を舐める。

その舌が妙に熱く感じた。

「信じたかい?お姫様」

 

速水は上手く回らない頭で言葉を探した。

貧困な語彙で、どうにか触れた複雑な感情を言葉に表そうとする。

口を出たのは見もふたも無いはしたない言葉だった。

「瀬戸口は・・・僕と、セックスしたいの・・・?」

瀬戸口は、普段からは想像できないような色を含んだ速水の声に目を見開いた。



 





 

白い身体がシーツの上でのたうつ。

触れただけでびくびくと引き攣り、震える華奢な身体。

「ひっ・・・ひあっ、ああ・・・・っ」

喉を絞るように喘ぎながら背を反らして痙攣する度、その少年にしては異常に発達した乳房が突き出される。

白くやわらかな膨らみに、桃色の尖り。

幼い顔はみだらに溶けきって、あきらかに精を求める雌の表情をしていた。

瀬戸口の陰茎をずっぷりと根元まで咥えこんだ内壁は突き上げる度にヒクヒクといやらしく蠢いて締め付ける。

ぐじゅぐちゅと角度を変えてピストンを繰り返しながら瀬戸口は速水をこれまで犯してきた人間達のことを思った。

初めて触れた身体は、抱かれることに慣れていた。

「やっ・・・あ、あうう・・・・っ」

熱い。きもちいい。内部が瀬戸口のものでいっぱいになっている。

速水は喘ぎながら自ら腰を揺らす。

こうして性交すると、脳が小さく小さくなって、きもちいいことしか、わからなくなってしまう。

それは長い苦しみの中で身につけた少年なりの防衛反応だった。

雄としては明らかにおかしい、しかし雄である身体。速水の性器は勃起せずにとろとろと透明な液体を滴らせている。

瀬戸口は速水の頬に触れできるだけ優しく言った。

「慣れてるんだな」

速水は泣きそうな表情になって「みないで」と途切れ途切れに呟く。

散々罵られてきた。きたない生き物だと。瀬戸口にもそう思われているに違いないと思った。

「何人くらいとセックスした?」

「わか、んな・・・・わか、らない。たくさん・・・」

「どうして」

どうして。速水はどうしてだろうと思った。

選択肢なんて一度だって与えられたことはなかった。苦しいか、もっと苦しいか、どちらかだ。

身体は他になにも持たない少年のただひとつの武器だった。

「・・・生きたかった、から」

それだけ。

瀬戸口の瞳孔が細まる。

暗い暗い感情がこみ上げそうになる。吐き気もする。どうして、人というやつは。

「幻滅・・・した?」

確認するような速水の言葉。

瀬戸口は無言で速水の両足を掴み感じる部分をぐりぐりと刺激した。幼い悲鳴があがる。

「ひぃ・・・ん・・・あっ・・・・・あ、あっ・・・・・!」

「じゃあ・・・今、俺に抱かれてるのは、なんで?」

あくまで優しく瀬戸口は尋ねる。

痺れるような悦楽に支配されながら、こんなセックスは知らないと速水は思った。

おかしな薬やプログラムを使われたわけでもないのに。

ラボにいたころは、こういう時は壊れたようにすきだからとか、口にしていたけれど。

速水は首を振る。小さくなった脳で必死に考えた。

幻滅されるとわかっていて、このきたない妙な身体を晒したのは。どうして。

「わから、ない・・・わかんない・・・君が・・・」

「俺が?」

瀬戸口は辛抱強く速水の答えを待った。小さな唇が震える。

 

「君が、わからないから・・・知りたく、て・・・」

 

長い間、ずっと焦がれていたもの。喰らい尽くしたいと思うほどに。

しかしそれは、思っていたよりもずっと傷だらけで。

世界に見捨てられたようなところも...決して自分だけのものにはならないくせに残酷な言葉を吐くところまで、彼女にそっくりで。

瀬戸口を名乗る鬼は凶暴な感情を必死に理性で制しながら少年を抱きしめる。

「わかった・・・あんたがそういうなら、仕方ないな。俺のこと、教えてやるよ。じっくり、な」

© 2023 著作権表示の例 - Wix.com で作成されたホームページです。

bottom of page